うみ

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#41 行かないで

 ──伝えることすら思いつかなかった。


「寂しくないの?」

 友人の口から会って早々飛び出した台詞に、一度瞬きをする。いくら親しいとはいえ、唐突にも程があるだろう。

「何がだ」
「え? だって明日から一週間遠征でしょ、あいつ」

 あいつ、という言葉で思い浮かぶのは昨日の夜、居間で荷造りをしていた同居人の姿だ。魔法省の魔獣対策課に就職してから初めての遠征だ、と随分はしゃいでいた。

「前々から予定していたことだが」
「そりゃそうだけど……」

 友人がなぜか困ったような表情になる。もうとっくに成人した良い大人だ、たかが一週間を寂しいとは思わない。それに、小規模で危険性も低い。

「たとえ寂しくなったとしても、どうにもできないだろう」
「えー、相手に話さないの? 寂しくなるねって」
「それで解消されるのか」
「ばっさり切られちゃうと難しいけど……まあ、一人で悩むよりは誰かに言っちゃったほうが楽になる、ってよく言うでしょ」

 そういうものか。感情に乏しいと言われるからかあまりピンとこない。そもそも、何かについて悩むということ自体が少ないのだ。

「なやみ……」
「あっ、そんなもの無いって顔してる。恋愛相談持ちかけてきたの忘れた?」
「煩い、お前もだろう。私だけでは無い」
「たしかに」

 くすくす笑う友人は、恋やら愛やらに心を乱された学園時代を思い返しているのだろうか。数年前のことだというのに、何やら懐かしく感じる。
 悩み……最近何かあったかと記憶を遡ると、昨日の奇妙な感情が頭に浮かんだ。

「そういえば、悩みというほどでは無いが」
「うん?」
「あいつが荷造りをしているのを見ていて、どうにかあの荷物に紛れ込んで着いていけないかとは思ったな。変な気分だった」

 なんとも言えない顔をする友人に、首をかしげる。何か変なことを言ったか。

「君の考えることは面白いと思うけど、それはさあ」
「なんだ」
「世間一般に『さみしい』って言葉で表すんじゃないかなあ」


***


 さみしい。寂しい、淋しい。どうしてもしっくり来ない。学園で出会うまでは、隣にあいつが居ないことが当たり前だったのだ。それが一週間元に戻るというだけのこと。そんな状況を寂しいと形容するのは、どうにも。

「一週間……百六十八時間」

 換算するとなかなかの長さだ。
 一週間、朝起きて、一人でパンを焼いてコーヒーを淹れて、出勤して。帰ってきたら夕食を作って洗濯をして、ゆっくり湯船に浸かってから寝る。また翌朝起きて──それでもあいつは居ない。

「七日、か」

 七日間顔を合わせられず、声が聞けず、触れることもできない。何も感じないと思っていたが、想像してみると、やはり。

「……いや、違うな」

 そもそもあいつが居ない生活を想像できないのた。朝に毛布を引き剥がされて、コーヒーの香りで目を覚ました後に、ひと足先に家を出る相手を見送って。夜は先に玄関に置いてある靴に安心して、あいつの好物を作って、土で汚れた服に文句を言いつつ少し温めの湯に浸かる。いつの間にかそれが当たり前になっていた。

「悩みは、誰かに言ったほうが楽になるんだったか」

 心配してくれているらしい友人からのアドバイスだ。実践してみるのも良いかもしれない。


***

 首都と街道とを繋ぐ門は遠征隊数十人とそれを見送りに来た家族や友人で賑やかだ。一時の別れを惜しむ家族、ハグを交わす夫婦、からかい混じりの激励を送る友人同士。
 その中で、薄く認識阻害魔法をかけつつ焦茶の髪の前に立つ。

「じゃあ、行ってくるな」
「……お前なら問題はないと思うが油断はするな」
「わかってるって」

 初めての遠征だというのに、その表情は少しの高揚感を滲ませるだけで不安も恐怖も有りはしない。肝の座ったやつだ。

「お前こそちゃんと飯食えよー?」
「普段も食べている」
「カロリーバーで済ませてただろ、この前」
「善処する」
「駄目だ。約束しろ」

  適当に答えた言葉に予想より鋭い声が返ってきて、思わず視線を上げる。静かながら深い色をした橙に気圧されるまま頷いた。

「わかった」
「ん」

 柔らかな色を取り戻した瞳が笑みの形に細まって、革のグローブを嵌めた手が自分の頭を跳ねる。子供扱いするなと言っているだろうに。
 遠出する前くらいは、と抵抗せずに無言でいると凛々しい声が集合を呼びかけた。もう時間らしい。

「お、そろそろか」
「……ああ」

 自分より一回りほど大きい手が離れていくのをぼんやりと視線で追って、慌てて目を伏せる。自分らしくもない。ずっと触れていてほしい、なんて。

「そんじゃまた一週間後」
「行って来い」
「へへ、行ってきまーす」

 へらりと浮かんだ笑みはすぐに真面目な表情に変わった。集合しようと踵を返す姿に、口から何かが零れそうになって、しかし何も音にならずに閉じてしまう。代わりに腕が出た。濃色のローブの袖をしっかりと握る。

「ん、どした?」
「……、っ」
「おーい?」

 ぐっと布地を引くと、少しかがむような姿勢になって耳元が近づいた。ちょうどいい、と誰にも届かない声量で、目の前の男だけに届くように囁く。

「────」
「……は?」
「ではな。気をつけて行け」
「なっ、おい!」

 腕を掴んで来ようとする手をかわして、一歩二歩と距離を取る。ローブの中で密かに握っていた杖を振れば、足元に転移陣が広がる。

「──っ! 帰ってきたら覚えてろよ!?」

 ぐにゃりと歪んでいく視界で、それだけが耳に届いた。
 何が「帰ってきたら覚えていろ」だ。

『お前がいない生活を考えられないから早く帰ってこい』

 寂しいなんて感情を感じたことが無かった私に、こんな激情を教えておいて。
 お前こそ、帰ってきたら覚えていろ。

(行かないで)

 昨日で四十作品目でした。いつも読んでいただきありがとうございます。

 10/28.加筆しました。

10/24/2024, 11:48:28 AM