かたいなか

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「アレか。『別に君を求めてないけど』か?何か思い出すのか?」
よほど日常的に愛用してるヤツでもなけりゃ、香水、意外と余りがち説。
某所在住物書きは「香水」をネット検索しながら、アロマオイルやルームフレグランスとしての香水活用術を見つけ、軽く興味を示した。
「個人的に、『この店の「この香り」を、香水でもルームフレグランスでも良いから、持ち帰りたい』って、たまにあるわ。例として無印良◯とか」
あと内容物要らないから、香水の容器だけ欲しいとかな。物書きは付け足し、未知のサプリに行き着いた。
「……『食べる香水』と『飲む香水』?」

――――――

8月27日投稿分から続く、ありふれた失恋話。
雪国出身の若者が東京で初めての恋に落ち、その恋人にSNSでズッタズタに心を壊され、
ゆえに居住区も職場もスマホの番号も、恋人に繋がる「一切」を変えて、逃げ続けた筈の約8年。
若者は今の名字を藤森と、恋人は元カレ・元カノの安直ネーミングで加元という。

散々ディスり、なじり倒したのだから、藤森のことなど放っておけば良いものを。
己の所有物に対する理想と執着の強い加元は、無断で姿を消したアクセサリーを探し続け、
とうとう前々回、藤森の職場にたどり着いた。

『藤森は今回も「一切」の連絡手段を断ち、この区から居なくなってしまうかもしれない』
長年仕事を共にしてきた後輩がアレコレ考え、実行に移したところで、今回の物語のはじまりはじまり。

――「いっぱい考えたの」
加元に住所まで特定されぬよう、藤森が一時的に身を寄せている親友の一軒家、その一室。
「加元さん追っ払えたら、先輩逃げる必要無いかなとか。魔除けアイテム買ったら安心するかなとか」
藤森の部屋から唯一の花を、その底面給水鉢を救出し、届けに来た後輩。
ガラスの小瓶を置いたテーブルをはさみ、向かい合って座っている。

「でも、私は先輩がつらい今グイグイ干渉しまくってるけど、先輩は、私がつらかった3月18日頃、干渉しないで、ただ私の話、聞き続けてくれたよねって」
だから、これだけ買ってきたの。後輩はテーブルの小瓶を右手で取って、左手の甲に近づけた。

「……リラックス効果がある香水だって。先輩、今絶対苦しいから、先輩の好きな花とか草とかの香りがあれば、ちょっとは、落ち着けるかなと思って。
すごくいい香りなの。良かったら、不安になった時使ってみて」

しゅっ、しゅっ。
手の甲に拭き付いた香りは、2種類程度のスッキリしたフローラルかシトラスをまとい、ひとつの確固たるメインとして木の香りが据えられている。
それは藤森が昔々よく嗅いだ、故郷の木の香り。
ヒノキ科アスナロ属、日本固有種「ヒバ」、すなわちアスナロの優しさであった。

「懐かしい」
加齢と過度なストレスで涙腺の緩くなった30代。ひとすじ涙を落として、藤森が呟いた。
「あの公園の、遊歩道の香りだ」
花咲く空き地、草木生い茂る森、水路きらめく田んぼと畑。それらをただ愛し、駆け抜けた時代。
都会の荒波も地方との速度の違いも知らず、SNSで陰口を投ずる仕組みも分からず、それらと出会うことすらなかった過去の雪国の田舎町。
それらの、なんと善良で、崇高で、美しいことか。

「いつか、連れてってよ」
小瓶を両手で受け取り、じっと見つめる藤森に、後輩が言った。
「加元さんの一件が全部片付いたら。加元さんが嫌って先輩が愛して、私が知らない先輩の故郷に。1日だけで良いから、連れてって」
藤森はただ目を閉じ、頷くことも、首を横に振ることもしない。
それが何を意味するか、後輩には分からなかったが、
せめて己の購入してきた香水が、心に傷負った先輩に、少しでも寄り添ってくれることを願った。

8/31/2023, 3:23:17 AM