sairo

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獣に似た鳴き声が、夜の街に響く。
藁蓑を纏い俵を背負った影。足を擦り、ふらつきながら歩くのは、小さな靴が見え隠れする俵の中身が原因だろうか。
異形の面の奥に見える目が、一軒の家へと向けられる。手にした切り刃《きりは》を握り、ゆっくりと歩み寄っていく。

「すごい。迫力が違う」

目を輝かせ、睦月《むつき》は燈里《あかり》の服の裾を握り締めながら呟いた。

「そうだね。来訪神は豊穣や幸福をもたらしてくれる神様だけど、怠ける人を戒める存在でもあるからね。あれくらいの怖さがあると、子供たちに響くだろうな」

睦月の頭を撫で、燈里は微笑んだ。
荒々しく戸を叩く音に、燈里はカメラを構えた。レンズの向こう側、鍵のかけられていない引き戸を開けて来訪神たちが切り刃を構え、家の中に入り込む。

「泣ぐわらしはいねがぁ!」

響く来訪神の声。遅れて泣きわめく子供の声が聞こえて、睦月はびくりと肩を震わせた。
手に力が籠り、服に皺を作っていく。

「わたし、ここの来訪神が家に来たら、燈里ねぇの背中に隠れて泣いてしまいそう」
「睦月はいい子だから、大丈夫だよ」

ふふ、と燈里は小さく笑い声を上げ、服を掴む睦月の手を繋ぐ。伝わる手のぬくもりが戻ってきたことを伝え、それだけで泣きたいほどに嬉しくなった。



地蔵菩薩が消えた後。家に戻った燈里たちは、睦月と遅くまで語り合った。
両親が事故で亡くなったこと。ヒガタと、ヒガタに連れていかれた子供たちの夢を見るようになったこと。
夢の中のヒガタは、子供たちに優しかったのだという。あの欅の根元で、ヒガタはついてきた子供に寄り添っていた。何も語らず、けれど子供たちの終わりを酷く悲しんでいるように見えたと睦月は語る。

「顔は見えなかったけれど、とっても寂しそうだったのよ。誰もいなくなってしまった木の下で、ヒガタの隣に座っているとね、時々村から声が聞こえるの。苦しい、悲しい、痛い……わたしの声も聞こえたわ。あれはきっと、心の声だったのね」

燈里の隣で、睦月は静かに笑う。

「その声が強く聞こえるとね、ヒガタは山を下りるの。そしてヒガタを見た泣けない子供はね、ヒガタについていくのよ」
「その子たちはもしかしたら、感情が削がれた子供はヒガタに連れていかれる認識ではなく、ヒガタの中の地蔵菩薩に救いを見たからついていったのかもしれないね」
「救い?」

首を傾げる睦月の頭を撫で、燈里は優しく呟いた。

「そう。地蔵菩薩は人々を救い、導いてくれる存在だから」

ぱちん、と火が爆ぜた。
囲炉裏を囲み、揺れる火を見つめる。ややあって、今まで黙って話を聞いていた冬玄《とうげん》が、小さく息を吐いた。

「あれにとって、子供がついてくることは呪いでしかなかった」
「冬玄?」
「往生のために生きてほしいと、あれは願い続けていた。だからこそ山を下りる来訪神と習合してまで、声の元へと向かった……尤も、その願いは叶うことはなく、残された言葉を誰かに託す日が来るまで守り続けることしかできなかったがな」

障子戸に視線を向ける冬玄を見て、楓《かえで》は茶を啜りながら苦笑する。

「泣かない子供の認識が呪いとなり、だけど呪われた子供にとっては救いとなった……皮肉な話だね」

茶請けの金平糖をいくつか取り、手のひらで転がしながら楓は呟く。

「生きているのに、生きてはいけないという感覚も、残された側の感情も、僕には分からないな……燈里と同じものが見えても、それだけは分からなかった」
「俺もだ。人間の心など、妖である俺らには分かりようがない……だが、分かる時が来るのかもしれないな」

緩く頭を振り、冬玄は燈里を見つめた。楓は手のひらの金平糖を握り締め、静かに口を開く。

「ならば、その時の傷を深くしないためにも、後悔のない選択をしないといけないよ」
「――そうだな」

楓の言葉に、冬玄は淡く笑みを浮かべた。
眠そうに目を擦る睦月の頭を膝に乗せながら話を聞いていた燈里の傍らに寄り、冬玄は静かに燈里の名を呼んだ。

「燈里」
「どうしたの?冬玄」
「――戻ったら、指輪を贈らせてくれ」

息を呑み、泣くのを耐える燈里の手を取り、冬玄は祈るように目を閉じた。



「燈里ねぇ。どうしたの?」

立ち止まったままの燈里を心配し、睦月が声をかける。それに燈里は何でもないと首を振り、さりげなく自身の指に視線を落とす。
翌朝。燈里たちは源護《げんご》の元を訪れ、祖先が元々暮らしていたという港町の話を聞いた。そして来訪神の取材を兼ねて、こうして今その港町を訪れている。
今はまだ何も嵌められていない指に、燈里は本日何度目かの溜息を吐く。家に戻るのが待ち遠しいような、恐ろしいような、そんな相反する気持ちに昨夜はあまり眠れなかった。

「大丈夫?」
「大丈夫。何でもないよ……それよりも、本当に良かったの?私たちと一緒に来るのは不安じゃない?」

話を逸らす燈里に、だが睦月は気にすることなく首を振る。

「ううん。燈里ねぇたちと一緒にいたかったから、全然平気……燈里ねぇの方こそ、本当にいいの?わたし、燈里ねぇの家に住むの邪魔じゃない?」

不安げに見つめる睦月に、今度は燈里が首を振った。
村を出る際に、燈里は久子《ひさこ》に睦月のことを頼まれた。
両親が亡くなり、それ以来睦月は村から出られなかったらしい。そのため今まで通っていた麓の学校にも通えず、近所の人や久子に対しても、どこか距離を取って暮らしていたようだ。
そんな睦月が、燈里の側から離れようとはしない。それを見て、久子は睦月のためにと何度も燈里に頭を下げたのだった。

「邪魔なんかじゃないよ。私も睦月ちゃんと一緒にいれるのは嬉しいから」
「本当?よかった!」

燈里の言葉に睦月は破顔し、繋いだ手を大きく振る。安堵したように息を吐くのを見て、燈里は繋いだ手をきゅっと握りしめた。

「泣ぐわらしはいねがぁ!」

家々を巡り終えたのだろう。数人の来訪神が燈里たちを取り囲み、切り刃を手に声をかける。睦月は燈里の腕にしがみつきながらも、来訪神たちを見つめ声を上げた。

「泣かないよ!でも、燈里ねぇがいるから、ちゃんと泣けるようになったのよ!」

何人かの来訪神から、息を呑む音が聞こえた。睦月の言葉の裏に潜む、深い悲しみに気づいたのだろう。

「そうか。泣ぐことさ、できるようになったか。良がった、良がった」
「姉ちゃんさ、大事にな。無理すんでねぇぞ」

切り刃を持たない方の手で、来訪神たちが睦月の頭を撫でる。その力強さに体をふらつかせながら、睦月はあ、と小さく声を上げた。

「どうした?」
「泣く子はいないけど、怠け者《かばねやみ》はいるよ!ぐずらもずらして、ずっと燈里ねぇのこと、待たせてるの!」

睦月が指差す方には、離れて燈里たちの様子を伺う冬玄と楓の姿があった。気を利かせて離れていた冬玄は、突然に指をさされ眉を寄せる。
睦月の言葉で大方の理解はしたらしい来訪神が、切り刃を掲げ、冬玄の元へと歩み寄る。戸惑う冬玄を囲み、どこか楽しげに声を上げた。

「あんちゃん。あんな別嬪さんを待たせんのはよくねぇべ」
「おい、何を言って……」
「さっさと捕まえとかんと、よその男さにかっさらわれちまうぞ」
「確かに。いつまでも待たせて、ようやく指輪の話が出てくるようなのより、身持ちのしっかりした男の方がいいのかも」
「お前まで何言ってやがる!燈里は誰にもやるつもりはねぇぞ!」

賑やかに騒ぐ冬玄たちを見て燈里は小さく笑うと、カメラを構えて写真を撮る。助けを求めるようにこちらを見る冬玄に手を振って答えていれば、控えめに睦月が服の裾を引っ張った。

「睦月?」
「燈里ねぇ。あそこ……」

冬玄たちとは正反対の方へ、睦月は指を差す。視線を向けて、燈里は思わず息を呑んだ。
そこには、一人の来訪神がいた。獣に似た青い異形の面。割れてはいないその見覚えのある面に、燈里は無意識に居住まいを正し深く礼をする。
隣で同じように頭を下げる睦月を感じながら、ゆっくりと頭を上げる。すでにその場には誰もいない。頭を上げた睦月と目を合わせ、どちらともなく笑みを浮かべた。

「今年は豊かな年になりそう」
「うん。何ていうか、春が来そうな感じがした」

目を細めて、睦月は来訪神がいた場所を見つめた。燈里と手を繋ぎ、ねぇ、と小さく呟いた。

「浜吉のおじちゃんにお願いしたら、村でもう一度来訪神の祭りを行ってくれるかな?」
「そうだね。今度戻る時に頼んでみようか」

村にも実り豊かな春が来るように。笑顔が溢れるように。

「寒くない?そろそろ戻ろうか?」
「手があったかいから平気……それにこうしていると、世界がとてもきらきらしているように見えるの。嫌いだったはずの雪も、とっても綺麗」

ほぅ、と息を吐いた。
白く曇る息すら煌めいて見えて、睦月は微笑む。

「世界って、こんなにも綺麗で、美しいんだね」

心からの笑顔に、言葉に、燈里は答える代わりに睦月を強く抱きしめた。


雪のちらつく、寒い夜。
春はまだ遠い。
けれども繋いだ手には、確かに春の木漏れ日のように柔らかなぬくもりがあった。



20260116 『美しい』

1/17/2026, 2:12:23 PM