薄墨

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暖かな暗闇の中で、目を凝らす。
滑らかな乳白色のナイチンゲール像の肌が、蝋燭の火に照らされて、杏色に浮かび上がっている。

私たちは、僅かにサイズの大きいナースキャップを、それぞれ押し戴いた。
端正に折り目をつけられたそれは、手付かずのボール紙のような真っ白さで、白衣とナースキャップを身につけた私たちは、深雪のような清潔な沈黙の月白を身に纏っていた。

手に持つ燭台が僅かに震えた。
燭台の上の蝋燭は、灰白色に影を落としながら、やはり私たちと同じように沈黙していた。
ドロリとした生成色の蝋が、芯の外側に、カピカピにこびりついていた。

ゆっくりと、火がやってくる。
薄暗い最中の蝋燭に、火が順々に灯る。
冷たい燭台の上の蝋燭に、熱いほどの温みが灯されていく。
次々に蝋燭に温みを呼び覚ますその様は、神々しい天使の所業か、死の淵から指先だけで人を生かす神業めいた治療のように思えた。

やがて自分の手元の蝋燭に、その温みが灯された時、思わず口から息が漏れた。
白衣の月白と蝋燭の灰白色が、ほんのりと杏色に和らいだ。
手の内に灯る光が、畏れ多くて美しく、それでも淡く愛おしくて、命のように温かかった。
蝋燭の火に照らされたナイチンゲール像の杏色が、生きているように思われた。

あの日、私たちはこの仕事の光の側面を見たのだ。
蝋燭の火の中に。
荘厳な、始まりの儀式の中に。
冷たくなりゆく命に向き合って、温みを取り戻すこと。
私たちの献身で、人の温みを呼び覚ますこと。
その喜びと愛しさを、この仕事において生涯背負い、目指すことになるこの杏色の灯火を。
私たちの心の灯火を。
私たちの理想を。
私たちはそれぞれ、あの杏色の灯火の中に見たのだ。

灯火を得た翌日から実技が始まって、それから私は、もう長い間ずっと、現実と、患者と、向き合い続けることになった。
荘厳で潔白で甘美な前日と違って、現実は卑近で黒ずんでいて、厳しかった。

諦めなくてはいけない命もあった。
間に合わなかった命もあった。
非情にならなくてはならない時もたくさんあった。
触れた指の先で温みを失っていく感触に、慣れてしまうほど、現実は暗く苦かった。

それでも。
それでも私の心には、あの戴帽式の時の杏色の灯火があった。
弱々しく、でも患者さんの体に温みが戻るたびに、それは柔らかく燃えて、温かくあり続けた。
杏色の心の灯火は、前にある道を照らしてはくれなかったが、私の足元をずっと照らし続けてくれた。

私は今日、退職する。
清潔で、冷たい暗闇に向き合うこの場所を後にする。

心の灯火は置いていく。
次の看護師の、次の医療従事者の、私の同志の足元を照らしてほしいから。

人生の大部分で纏っていた白に背を向ける。
燭台の上には、白濁して垂れた蝋が、絶えずちろちろと燃えている。

踵を返す。
一歩を踏み出す。
乳白色のナイチンゲール像が、静かに見守ってくれている。
あの夜とは別の、でも確かな温みを感じる優しい眼差しで。

涼しい風が、足元を撫でていった。

9/2/2024, 1:30:02 PM