sairo

Open App

かたんかたん、と列車が揺れる。
窓から見える景色は、うっすらと雪の白が混じっていた。

「寒くないか?」

問われて首を振る。

「全然。コタツ、あったかいもの」

そう笑えば、彼も淡く微笑んでくれる。
暖かい。外は冬に向けて季節が移っていくのに、列車の中は少し暑いくらいだ。
ふと思い立って、彼の肩に凭れてみる。驚いたように小さく息を呑んだ彼は、けれど次の瞬間には目を細めて笑った。

「どうした?」
「なんでもない。コタツ列車って初めて乗ったけど、なんかいいなぁって」
「気に入ってもらえてよかった」

頭を撫でられて、心地良さに段々と眠くなってくる。

冬も悪くない。
堂々と触れ合える季節に向かう列車の中、一人幸せに笑っていた。



「おひとつどうだい?」

不意に向かいに誰かが座る気配がして、目の前に手が差し出された。
その手に乗っているのは、一個のみかん。柑橘系の爽やかな香りに、微睡み出していた意識が戻ってくる。

「あ、ありがとうございます」

お礼を言って、みかんを受け取る。差し出した誰かに視線を向ければ、白髪の女性が穏やかに笑った。

「ようやく、くっついた祝いさ。嬢ちゃんの側にいるために努力を惜しまないっていうのに、いつまで経っても何も言わないんだ。あげくに振られたと言って戻ったかと思えば、機嫌は悪くて運転は荒れてたからねぇ」

態とらしく溜息を吐いてみせながら、それでも女性は笑っている。気になって彼を横目で見るも、表情を変えることなく黙々とみかんの皮を剥いていた。

「知ってるかい?こたつはねぇ、いつもは小雪《しょうせつ》の駅を過ぎないと出さなかったんだよ。それが寒露《かんろ》の駅を過ぎたら出してくるんだから、本当に大事にされているんだね」

楽しそうに言われて、思わず頬が熱くなる。
みかんを剥き終わったらしい彼は、手に乗せたままのみかんと交換して、また黙々とみかんの皮を剥き始めた。
その表情は変わらないけれど、よく見ると彼の耳が赤くなっている。それに気づいた瞬間に、益々頬が熱くなった。

「おやおやこれは……邪魔者は退散した方がよさそうだ。それじゃあね、お嬢ちゃん。頑張るんだよ」

彼から視線を逸らし手の中のみかんを見ていれば、女性は席を立ち去って行く。
何を頑張ればいいのだろう。
落ち着かず、みかんを見ながら考えてみる。けれど何も思いつかなくて、小さく息を吐いた。

「みかんは嫌いか?」

静かに問われて、首を振る。

「何を頑張ればいいのかなって」
「あまり気にするな。この列車の乗客は、おせっかいな奴らが殆どなんだ」

彼も同じように息を吐いて、剥き終わったみかんをもう一つ手の上に置いた。
食べないのだろうか。視線を向ければ、彼は白の手袋を嵌め帽子を被り、席を立つ所だった。
気づけば列車の速度が落ちている。もうすぐ次の駅に着くのだろう。

「次の駅は立冬だ。少し長く停まることになる」

車掌として駅に降りて仕事をしなければいけない彼に頷いて笑ってみせる。

「行ってらっしゃい。お仕事頑張ってね」

待つことは嫌いじゃない。窓から見える景色も、働く彼の姿も、見ているだけで心を躍らせる。
そんな気持ちを込めて伝えれば、彼は帽子を深くかぶりドアの側へと歩いていった。

かたん、かたん、と列車が速度を落とし、駅に停まる。
がたがたと、乗客が立ち上がる気配がして、ドアが開くのと同時にたくさんの客が駅へと降り立つ。その中に先ほどの女性がいて、目が合うと微笑んで手を振ってくれた。
それに会釈を返して、みかんを一房取り口に入れる。甘く爽やかな味に、口元が綻んだ。
窓の外では、彼が忙しそうに動き回っている。彼の言うとおり、この駅は乗客の出入りが多いらしい。

「ここは冬の始まりだからね」

声が聞こえて視線を向ける。
列車に乗る時に別れた彼女が、向かいの席に座って笑っていた。

「先輩」
「久しぶり。まあ、正しくは車掌の影だから、先輩じゃないけどね」

くすくすと笑いながら、彼女はどこからか湯飲みと急須を取り出すと、お茶を入れ始めた。

「やっぱみかんにはお茶だよね。あと、おせんべいもあるから、食べながらのんびり出発を待とう」

再びどこからかせんべいやみかんが乗った皿を出し、コタツの上に置いて彼女は笑う。それに曖昧な返事を返しながら、また一房手の中のみかんを口に入れた。
窓の外を見る。彼の様子に変化はない。しかしその足下には、やはり影はなかった。

「心配しなくてもあいつは大丈夫だよ。双子みたいなもんだと思ってくれていいし」
「そうなの?」
「そうなの。ただ側にいてもいなくても、お互い見聞きしたことは通じてるから、双子というより、もう一人の自分って感じに近いのかな」

首を傾げる彼女に、同じように首を傾げる。まったく理解はできていないが、そういうものなのだろうと無理矢理に納得した。
みかんを食べ、淹れて貰ったお茶を飲みながら車内を見渡す。
乗客が降りてがらんとしていた車内は、すぐに別の乗客が乗り込み賑わいを見せている。しっぽの生えた子供たち。りっぱな角を持つ男性。木彫りの面を被った人影の群れなど、不思議な乗客たちで列車は満員になっていく。

「季節の移り変わりは、訪れるものも去るものも多いんだよ。特に冬は境が薄くなってしまうからね」

音を立てて茶をすすりながら彼女は言う。
駅の外。遠くへ飛んでいく白い鳥の姿を見ながら、駅を降りることの意味を考えた。
冬へ向かい駅を降りる。その先に向かい、自分もいつか駅を駅を降りるのだろうか。

「どうしたの?」

窓の外を見たまま動かない自分に、彼女は不思議そうに声をかける。静かに首を振って、同じように駅を降りた客を見送る彼を見た。
真っ直ぐな視線。自分が駅を降りる時も、彼は見送ってくれるのだろうか。
その姿を想像して、小さく笑う。彼に見送られるのは、とても贅沢で、幸せなことのように感じた。

「見送る姿がかっこいいなって……あんな風に見送られているお客さんたちが羨ましい」

呟けば、彼女は途端に咽せ込んだ。
突然のことにどうすればいいのか分からず視線を彷徨わせていれば、足音荒く彼が近づいてくるのが見えた。
どうやら出発の時間が来たようだ。影になって彼の足下へ消えていく彼女を何も言えずに見送って、恐る恐る彼を見る。
帽子を深く被っているため、表情は見えない。けれど何も言わずに席に座るその耳が、真っ赤に染まっているのが見えた。

かたん、かたん、とゆっくりと列車が動き出す。白が混じる景色が過ぎて、遠くなる。
お互いに何も言えないまま。どこか気まずい空気が、周囲の賑やかな雰囲気に解けていく。
少しだけ寂しくなって、そっと彼の手に触れた。微かに息を呑む音が聞こえ、触れていただけの手を繋がれる。
そのまま手を引かれ、彼の胸に倒れ込んだ。強く抱き締められ、そっと囁かれる。

「俺は見送りたくはない。もしも駅を降りる時が来たならば、そのまま俺を連れて行ってくれ」

指を絡めて繋ぎ直される。離れないという宣言のようで、煩いくらいに胸の鼓動が高鳴った。
顔が熱い。何も言葉が出ず、返事の代わりに彼の胸に擦り寄った。

かたんかたん、と列車が冬へ向けて走っていく。
外は雪が降り積もっているのだろう。
だけどこの列車の中は、コタツだけでない温もりに溢れ。
少しばかり暑いくらいだった。



20251117 『冬へ』

11/19/2025, 9:49:08 AM