沼崎落子

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 わたしがその人に出会ったのは映画館の中である。しかも、映画で主人公が観ている映画の中の主演というのだから、彼と自分を挟んでいる壁は幾重にもあった。
 彼はダンサーだった。アカデミー賞も受賞しているというのに、頑なに彼は「ダンサー」を名乗った。
 彼の新作はもう描かれず、自分は「旧作を思い浮かべて」といった企画でようやっと彼に会える。
 彼は陽気でお茶目で完璧主義者だ。笑顔の裏に徹底したプロ意識を持っている。

 もし彼が存命中ならわたしは拙い英語でなんとかファンレターを書いただろう。たまにエージェントがすべて拒否する人もいるけれど、そんなのは彼が存命中のときに知りたかった、と全く調べていないから分からない。
 全ては「たられば」だから。

 彼の全盛期の映画しか映画館ではかからないので、わたしは彼のいつもの顔しか知らない。
 燕尾服と白黒のタップダンス用のシューズと軽やかな足音。
 わたしは彼に「ありがとう」を伝えたい。

5/3/2023, 10:22:07 AM