komaikaya

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 『過ぎ去った日々』は共に追憶する人がいなければそのうち、容易に思い出せなくなる。それはその記憶へと至る神経接続を強化し続けるから、ということなのだろうが、それを知りながら、辛い記憶ばかりを忘れられないのは何故だろう? などと首を傾げてしまう、記憶を誰とも共有せずとも繰り返し、繰り返しその記憶の再生ボタンを押し続けているのは、他でもなく自分自身であり、けれど自身だけではそれを止められなかったりもするから、本当に厄介だ。

 それはもう過ぎ去ったこと、過去のことなのだ、と傷つけた相手に思ってもらえるには、どれくらいの時間が必要なのだろう? そしてそれは「許される」と同義になるとは限らず。
 それでも。傷つけられた強くて優しい人は、許せないけれど過ぎ去ったこととするし、許さないけれど復讐や報復をしない。
 そのことがその人の「強さ」だとか「優しさ」なんかで片付けられてしまわないように、どうかその人が報われますようにと、遠く及ばないけれど自分もその人みたいになれますように──そう願いつつも私は偽善者であるから、同時に「どうか自分の罪が許されますように」とも、しっかり願うのだ。

 ──と。
 こんな矛盾ばかりの落としどころの無い雑文を最後まで読んでくれた優しいアナタがこの世にいることで、私は勝手に「許された」ような感覚を得る。承認要求を満たすことと、許されることとはまったく別のものなのにね、でも、読んでくれたことがうれしいから……ありがとう!
 

3/10/2026, 8:42:22 AM