――すごく、きれいな花。
聞こえてきた〝聲〟に、立ち止まる。
空を見上げれば、澄み切った青空高くに太陽は昇り。暖かな、というには強すぎる日差しを大地に届けている。吹き抜ける風が、汗ばむ陽気に心地の良い涼を運ぶ。
とても良い天気だ。満開とはいかないまでも、桜が咲き始めているとも聞く。
大方〝聲〟の主は、どこかで花見でもしているのだろう。桜を見て笑う姿を想像し、思わず笑みを浮かべ。
――かわいい。食べるのがもったいないくらい。
だがそれは、新たに聞こえてきた〝聲〟を聞いて固まった。
「花より団子ってやつか」
呆れたように溜息を吐き。
ふと思いつき、にやり、と先ほどとは異なる種類の笑みを浮かべ、歩き出す。
〝聲〟の主である、彼女の元へ。
「なんだ。団子を食べてた訳じゃないんだ」
「ひゃぁ!?」
すぐ後ろから聞こえてきた声に、文字通り飛び上がって驚いた。
その拍子に手から買ったばかりの和菓子の袋が宙を舞う。そのまま落ちてしまうと手を伸ばすより早く、背後から伸びた大きな手が袋を掴んだ。
「気をつけろよ。危なっかしいな、お前」
態とらしい溜息を吐かれ、袋を手渡される。突然の事に固まったまま動けないでいると、手渡した袋ごと手を掴まれて歩き出した。
「え?ちょっ、と」
「道の真ん中で突っ立ったままじゃ、迷惑だろ。行くぞ」
手を引かれる形で、背後にいた彼が前に来る。何故ここに、と疑問が浮かぶけれども、彼の言葉を思い出し納得する。
きっと心の声を聞かれたのだろう。彼の話では、人が思っている事、考えている事を意識せずとも覚れるらしい。
「行くって、どこに?」
「公園。団子を食うんだったら、花も見ろ。デートだ、デート」
「でっ!?」
デートの一言に顔が熱くなる。嫌ではないし、嬉しいのだけれども、やはり恥ずかしい。
少し前。帰り道で追いかけてきた彼に告白され、付き合う事になった。その時は、色々な事が一気に押し寄せて不覚にも気絶してしまったのは、正直な所忘れてしまいたい。
繋がれた手を見る。いつの間にか手にしていた袋を取られて、しっかりと繋がれている事に益々顔が熱くなる。
「途中で団子とか、飲み物買って行こうぜ。この練り切りは家に帰ってからのお楽しみなんだろ」
すべて把握されている。彼は心を覚れるのだから、当然と言えば当然ではあるけれど。
心が覚れるからといって、彼に対する印象が大きく変わった訳ではない。ただ彼に対する気持ちが全部筒抜けになってしまう事は、やはり落ち着かない。
彼が好きだという気持ちが、言葉にする前に伝わってしまうのはもう仕方がない事だと半ば諦めているけれど。言わなくても伝わるからといって、言葉にしなくてもいいはずはない。
かといって好き、の一言を彼を前にして言えるかと言われれば、言えないのが正直な感想であるが。
「お前さ。そういうとこ、直した方がいいぞ」
「え?それってどういう」
「奢ってやるから、何食べるか考えておけって事」
いつもとはどこか違う彼に、不思議に思って彼を見る。
髪の間から見えた彼の耳が赤く染まっている事に気づいて、その意味を理解した。
彼に伝わっている。手を繋ぐ事が嬉しいのに恥ずかしいと思っている事も、好きだという気持ちも。言葉にしたくて出来ない、このもどかしさも。
「ほらっ!何食べたいんだ。別に団子でなくてもいいぞ。好きなもの考えろって」
ちらり、とこちらを振り返り睨み付ける彼の顔は、耳よりも赤い。思わず可愛いな、と思ってしまい、さらにきつくなる彼の目に、ごめんね、と慌てて謝った。
「本当に何なんだよ、お前。心を覚れるって打ち明けた時も、気持ち悪がったり、離れていこうとかもしないし。色々思ってるくせに、それを一言も言葉にしないし」
「だ、だって!」
「言葉にしたいって思うなら、ちゃんと行動に移せ。聞いてるこっちが恥ずかしくなる」
呟いて再び前を向く彼に、分かってる、と呟く。それでも続く言葉が何一つ出ない事に、我ながら呆れてしまう。
どうしたら良いのだろう。どうしたら言葉になるのだろうと、意気地のない自分自身に焦り。
その横を、風が通り抜けた。
「――あ。桜」
風が忘れていった薄桃色の花びらを手に取る。そういえば今日はいつもよりも暖かい。
春が来ているのだ。
彼を見る。肩についた桜の花びらに手を伸ばしながら。
「おだんごも、飲み物もいらないよ。こうして手を繋いで、一緒に桜を見れたらとってもうれしい」
素直に思っている事を口にした。
「――馬鹿」
少しの沈黙の後に、彼から出た呟く言葉にむっとする。
けれど言いかけた文句を遮るように、彼の歩みが速くなった。
「馬鹿。大馬鹿。そういう可愛い事を、簡単に口にすんな…もうこうなったら、お前の好きなもん、全部買ってやる。太らせてやる」
「なんでっ!?」
一度足を止めて、彼が振り返る。
真っ赤な顔をして真っ直ぐにこちらを見る目を、落ち着かない気持ちで見返した。
「お前が可愛いのが、悪い」
ゆっくりと噛みしめるような彼の言葉に、痛いくらいに心臓が騒ぎ出す。彼よりも真っ赤になっているだろう顔を隠すように俯いていると、彼はまた歩き出した。
公園の方向とは違う。向かう先が、さっきまでいた和菓子屋だと気づいて、別の意味で落ち着かなくなった。
「ちょっ、ちょっと。まさか、本当に」
「本当に…隠しても無駄だぞ。お前の〝聲〟は分かりやすいからな」
「あ、う…」
引き止めようとも、きっと彼は止まらない。
どうしようと焦る背中を風に押され、複雑な気持ちで彼の隣に並んだ。
周りから恋人のように見られたらいいな、と密かに期待して。
「本当にお前、馬鹿」
彼を見れば呆れたように笑っている。けれどその笑顔はとても優しくて、嬉しくなって笑い返した。
ああ、春が来ている。
心が落ち着かないのも、こんなに幸せだと笑ってしまうのも。
きっと、春のせいなのだろう。
20250330 『春風とともに』
3/30/2025, 2:35:41 PM