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 四百年ほど前、ある所に田井尊という男がいた。
 彼は子孫代々武勇に優れたサムライの家系であり、彼もまた先祖と同じように勇敢なサムライであった。
 剣、弓も天下一品ばかりでなく、兵法や政治、さらに芸術や茶の作法にも精通しており、まさに非の打ちどころのない武人であった。

 その腕を見込まれ、彼はとあるお殿様に仕えていた。
 彼はその才能をいかんなく発揮し、そしてお殿様からも破格の待遇を受けていた。
 彼のおかげで、戦国の世にか関わらず、国は平和であった。

 そして平和な徳川の世になってから数年後、彼は出家することを決意する。
 彼は武を持って名を知らしめた男、平和の世になってからは自信の武勇がすでに求められていないことに気づいていた。
 そこで彼は国を出て、戦国の世で儚く散っていった魂を鎮めるため、日本各地を行脚することにしたのだ。

 ◆

 鎮魂の旅に出て一か月後、彼は何日も山を彷徨っていた。
 彼は数日前まで平らな道を歩いていたはずなのだが、いつのまにか山に入っていたらしい。
 見渡す限り巨大な木々ばかり。
 始めは楽観的に考えていた彼だが、少しも抜け出すことが出来ぬ山に焦りを感じ始めていた。
 まるでタヌキに化かされたみたいだと訝しむも、彼は道なき道を進む。
 そしてついに食料もそこをつき、彼は空腹に悩まされていた。

「腹減ったなあ……」
 耐尊の心の声が思わずこぼれ、『しまった』と口を抑える。
 世俗を捨てた僧が『腹減った』など言えば、恰好が付かない。
 彼は背中に冷たい物を感じつつ周囲を見回すも、誰もいないことにホッとする。
 そして耐尊は前方に視線を戻す。

 だが、どういう事であろう。
 先ほどまで何もなかった場所に、豪華な食事が姿を現した。
 牛肉、豚肉、鶏肉、鹿肉、肉、肉、肉……
 耐尊は、目の前の降ってわいたご馳走に目が釘付けになる。

「なんということだ。
 これは仏様のご加護か?」
 耐尊は目の前の奇跡に唾を飲み込み、しかし首を振る。

「しかし拙僧は仏の道を選んだ身。
 残念ながら肉は口に出来ぬ」
 耐尊は後ろ髪を引かれながらも、その場を立ち去る。

「ふうむ、不思議なこともあるものだ……
 おや?」
 彼が先ほどの不思議な出来事について考えながら歩いていると、なにかの気配を感じ横に視線を向ける。
 だが、どうということであろう
 今度は目の前に魚が山の様に積み上げられていた。
 サンマ、タイ、マグロ、サケ、アユ、魚、魚、魚。
 耐尊は、目の前に降ってわいたご馳走に目が釘付けになる。

「なんということだ。
 再びこのような事に出くわすとは……
 やはり仏様のご加護か?」
 耐尊は目の前の奇跡に唾を飲み込み、しかし首を振る。

「しかし、拙僧は魚の生臭いのがダメでな。
 ありがたいが食う事は出来ぬ」
 耐尊は後ろ髪を引かれながらも、その場を立ち去る。

「ふうむ、もったいない事をした……
 魚でさえなければ食べることが出来たのに……
 やや!」
 彼が先ほどの不思議な出来事について考えながら歩いていると、なにかの気配を感じ横に視線を向ける。
 だが、どうということであろう。
 今度は目の前に果物が山の様に積み上げられていた。
 ミカン、リンゴ、ナシ、ブドウ、果物、果物、果物。
 耐尊は、目の前に降ってわいたご馳走に目が釘付けになる

「なんということだ。
 三度、このような事に出くわすとは……
 やはりお仏様のご加護か?」
 耐尊は目の前の奇跡に唾を飲み込み、しかし首を振る。

「このような奇跡、拙僧だけで独り占めするのは心苦しい……
 これは山の動物たちに上げることにしよう」
 耐尊は後ろ髪を引かれながらも、その場を立ち去る。

「待て待て待て」
 耐尊が立ち去ろうとしたとき、どこからともなく声がする。
 声の方向に振り返れば、先ほどの果物の山が人間の言葉を話していた。

「おい、そこの人間!
 さっきから何かにつけてご馳走に触りもしないとは何事だ」
 そう叫ぶと、一瞬のうちにご馳走の山は狸になってしまった。
 それを見た耐尊は、眉をしかめる。

「先ほどのご馳走の山、やはりタヌキであったか」
「おい、答えろ、人間。
 俺の変化は完璧だったはずだ。
 なぜ手を付けねえ」
 タヌキは耐尊を睨みつける。
 なが耐尊はそれを意に介さず、質問に答える。

「なぜもなにも、こんな山奥で唐突に食べ物の山があるはずがあるまい。
 警戒するのが普通だろうよ」
 耐尊の言葉に、タヌキは衝撃で体が固まる。
 そこまで考えが及ばなかったからだ。

「話は終わりか?
 拙僧は急いでいる。
 もう行ってもよいかな」
「そんなわけないだろう!」
 タヌキは一歩前に出る。

「俺たちはタヌタヌ盗賊団。
 ご馳走に目が眩んで騙されている内に、身ぐるみはがそうと思ったが……
 それはやめだ。
 このまま力づくでやらせてもらう」
「ほう、化けタヌキ一匹で拙僧に勝てるとでも?」
「誰が俺だけだと言った?
 俺たちは『タヌタヌ盗賊団』だぜ」

 すると周囲にあった木々が次々と身をくゆらせる。
 そして大地が揺れ動く。
 耐尊は驚いてその場に立ち尽くす。。
 気づいた時には、山も木もすべてなくなっており、その代わりにたくさんのタヌキが耐尊を取り囲んでいた。
 驚くべきことに、山も木も全てタヌキが変化したものだったのだ。

「これは!?」
「驚いたか人間。
 お前は山で迷ったと思っていただろう?
 だが真実は、俺たちがお前を迷わせていたのだ」
「通りで山から下りれないはずだ……」
「自分の置かれた立場がわかったか、人間?
 おとなしく金目のものを出しな。 
 さもなければ痛い目にあうぜ」
「ご免こうむる」

 そう言うと、耐尊は履いていた下駄を脱ぐ。
 下駄は鈍い音を立てながら大地に転がる
 とても普通の下駄には思えない代物であった

「なんだその下駄は!?」
「これは旅に出る前、特注で作らせた鍛練用の下駄だ。
 足腰を鍛えるために履いている。
 タヌキ一匹だけなら邪魔ではないが、こうも数が多くてはな……
 少々疲れるので脱がせてもらった」
「下駄を脱いだくらいで、この数に勝てるとでも!
 おめえら、この人間の尻の毛まで一本残らず抜いて――」
 しかし、タヌキは最後まで言うことが出来なかった。
 耐尊が目にもとまらぬ速さで近づき、タヌキに当て身をくらわせたからだ。

「なんだ、あの人間」
「見えなかったぞ」
「び、びびんじゃねえ。
 一匹やられただけだ。
 みんなでかかれば勝てる!」
 タヌキたちの精いっぱいの虚勢を聞いた耐尊はほくそ笑んだ。

「拙僧、修行中の身でな。
 自身の怒りの制御が未熟なのだ。
 これまで拙僧を迷わせてくれた鬱憤、晴らしてくれよう」

 ◆

「申し訳ありませんでした」
 タヌキたちは、耐尊の前に全員正座させられていた。
 あのあとタヌキたちは耐尊に襲い掛かったものの、全員返り討ちに会ってしまったのである。

「何でもしますのでお許しください」
 タヌキたちの情けない嘆願を聞いて、耐尊はため息をつく。

「タヌキどもよ。
 拙僧を何だと思っているのだ。
 仏の道に進んだゆえ、殺生は可能な限りせぬことにしておる。
 安心されよ」
「ありがとうございます。
 ですが、それでは我々の気持ちが収まりません。
 何でもお申し付けください」
 タヌキの言葉に、耐尊は腕を組んで悩む。

「そうは言ってもな。
 待てよ、そう言えば腹が減っておる。
 少しでいいから食べ物を分けてくれ。
 少しでいいからな」
「分かりました。
 ご馳走を用意させていただきます」
「少しでいい」
 耐尊はため息を尽きながら、タヌキたちに厳命する。
 しかし耐尊は、タヌキたちの張り切りようを見て、たくさん持ってくるのだろうなと、確信した。

「まあいいさ。
 そうだ、食事の前にお前たちに伝えたいことがある」
「なんでしょうか?」
 耐尊は全てのタヌキを見渡しながら、ゆっくりと言い放つ。

「お前たちの変化、実に見事であった。
 たしかに状況は不自然だったものの、それ以外はまったく悪いところが無い。
 お前たち、その変化の術を良い事に使え。
 さすれば仏がお前たちを祝福し、加護を与える事であろう」

 それを聞いたタヌキたちは、こぞって目を輝かせた。
 今までタヌキたちは、奪うことばかりを考えて、与えることなど少しも思わなかったからだ。
 それまで野盗のような澱んだ気配のタヌキたちが、清浄な気が満ちてく。
 心に灯火が宿ったのだ。
 耐尊は、もう心配いらないと、頷く

「せいぜい清く生きよ」
 耐尊は少しばかりの木の実を受け取り、再び旅に出たのであった

 ◆

 この後タヌキたちは、耐尊の言いつけを守り、人のために生きるようになった。
 変化の術を色々な人たちのために使ったのだ。
 だがタヌキにも、人間にも色々なものがいる。
 時に来は騙したり騙されたり……
 それでいて楽しそうに生きた。
 
 この辺りの地域に、こうしたタヌキのお話が多く残っているのは、こういうわけである

 おしまい

9/3/2024, 2:07:31 PM