疑問に思うまでもなく、これは誘拐だった。
わたしと、黄色い帽子を被ったこの子とを照らすのは、朝がけの陽光。
なんの変哲もなく、カーブミラーを横切るわたしたちは、なんなのかと、ふと思った。
「もっと、はは、は速く歩いても、いいいかな」
コクンと、黄色い帽子が跳ねる。
「ざ、じ、じゃあ……」と、わたしもぎこちなく歩きはじめると、その子もぎこちなく、ついてくる。
アスファルトを進むたび、隣から聞こえてくる、鍵盤ハーモニカに足を打つ音。
わたしはほんの良心で持ってあげようかと、手を差し出した。
「ありがとうございます!」
ゆるゆるのゴムを揺らしながら笑い、めいっぱいわたしにハーモニカを差し出してくれ、わたしはそれを片手で持ち上げる。
そのままわたしが歩き始めると、その子はついてきながら、軽くなった片手をぐっぱぐっぱして、名札をいじったりした。
そのまま、しばらく歩いていると、その子はこちらを伺うような素振りを見せて、片手をスカートのひらひらへ持っていき、もじもじしだす。
「……あのお、まだ?ですか?」
「う、ううん」
「うん?ううん?ん?どれえ」
「ごご、ごめ、んん……ト、トイレ?」
「うん……」
わたしは、少し幸せだった。
近くにあった公園を指さして見せると、その子はみるみる、小さな顔いっぱいに笑顔を浮かべて、しかしそれは、作ったものなんかではなくて、本当に、思いが顔に出たという感じで、わたしは、やはり幸せになれる。
その子の足はさっきよりずっと速くなり、やがてわたしを追い越し、わたしも手を離して、その子は公園へ「いちばんのり!」と、入った。
わたしは、にばん。普段なら学校へ行く時間帯。そんな時に公園へ行って、ひとりじめできることが楽しいんだろうと思う。
わたしは公衆トイレの方へ向かっていたのに、黄色い帽子は滑り台へ登っていってしまった。
わたしへ手を振っている。
この子は、わたしのことを好きでいてくれていた。
未来、思い返す時があるとしたら、その時も、いいおじさんとして思い出してくれるだろうか。
わたしは公衆トイレの壁のなか、お願いした。
ずっとこのまま、パトカーのサイレンにも、監視カメラにも追われず、いられますように。
1/12/2024, 1:32:47 PM