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わたしはスーパーマンが好きで、もともとのライターとアーティストのシーゲルとシャスターもけっこう好きで、伝記のコミックスももっているし、スーパーマンの新聞連載版コミックストリップをまとめた本も何冊も持っていて、それで、実は、レックス・ルーサーの方が好きだ。
レックス・ルーサーは人間で、そのうえなんでもできる。レックス・ルーサーは、超初期の頃、どちらかというと魔術師めいていて、その後、超科学が使える謎の支配者(願望が強い)になって、アウトローになって、社長とか市長とか会長とかそういう、社会的な地位と権力が張り付き出したのは、スーパーマンに農家の養子という設定が張り付いてからだ。
スーパーマンに農家の養子という設定が張り付く前のスーパーマンのことが好きだ。そのスーパーマンは恐ろしいくらいなんでもできるので、超高速すぎて人類にしてみれば複数箇所に同時に存在できるし、時間も自由に行き来できるし(これは今もそうなってることもある)、星を1から作ることもできるし、惑星も移動させられるし、どんな言葉も読めて話せて、サンタクロースとも出会う。海の底にも宇宙の果てにも行ける。ちょっとした記念にヒートビジョンで惑星に文字を彫ったり山に顔を彫ったりするし、出来すぎた彫像もやたらと作る。写真より精巧に作る。何故ならスーパーマンは写真に写された以上の情報を完璧に記憶し続けられるからだ。心音で個人の識別ができるし、人の毛穴なんて離れてたって全然見える。などなど。ありとあらゆることができる。ライターの想像力がそこに辿り着けさえすれば、スーパーマンはできる。(その後、いかに“できない”を描くかという風にかわってしまう)
それで、レックス・ルーサーはなにせスーパーマンのアーチーエネミーであるから、そのころスーパーマンにできることはできるようになることが結構ある。アウトローだから社会の常識は通用しない。機械で空も飛べるし、宇宙のどこへでも行けるし、どんな本でも読んでおり、ありとあらゆることに閃き、その閃きを実現でき、脱獄もするし、地球以外の星で権力を手にしたりもする。このころは、どこまでいっても、レックス・ルーサーは人類のままだったし、そして人類のままで、生命を作ることができる、場合があった。
シルバーエイジと言われることもある時期に描かれた、レックスとスーパーボーイ(少年時代のスーパーマン)の出会いには、レックスが生み出した生命体が登場するが、ただの生命でしかないそれが、そこに描かれていることが、なんだか恐ろしく好きなのだ。
なんでもできるスーパーマンではなく、なんにも躊躇わない、禁忌のないレックスが、それをつくったということも。
スーパーマンもレックス・ルーサーもよく宇宙に行く。星々はとても近い。でもその、自己の形を保てるかどうかという生命体の、無垢さが、どうしても悲しくて傷ましくて輝かしくて好きだ。

だから実は、ギャラクティックゴーレムもことも好き。初登場回以降、再登場なんてさせないで欲しいくらいには。

初期のころのクラーク・ケントのどこが好きかもいつかできたらな。ロイス・レーンは大好き。

4/5/2024, 12:46:37 PM