それはちょっとした思い付きだった
コロナ禍で人との交流が制限され、仕事に行くこともままならず、多くの人が抱えていたモヤモヤを俺も少なからず募らせていた頃だった
暇潰しに何気なく観ていた「メイク動画」
すっぴんの女の子があれよあれよという間に美女に変身していくアレだ
元々姉貴には良く言われていた
「あんたが良い要素全部持って行っちゃったのよね…」
二つ上の姉貴とは似ているところが全く見つからないほどお互い別の造りをした顔立ちだった
「私はあんたが母さんが過ちを犯して出来てしまった子供なんじゃないかって、未だに私は少し疑っているのよ」
と恐ろしいことを姉貴は真顔で良く俺に言った
確かに自分でもキレイな顔立ちだとは思ってきた
日本人離れした彫りの深さ、180cmを越える背の高さだったが9頭身には見える小さな顔、大きいながらも涼しげな瞳、薄からず厚からずのバランスのとれた形の良い唇
化粧品のCMに出てきそうな綺麗な肌をしていた
その動画を眺めているうちに、
「俺ならもっとキレイになるかも…」
なんていうイタズラ心と好奇心が頭をもたげたのだ
姉の使いかけの化粧道具を借りて、見様見真似で丁寧に施していく
元々手先は器用で美的センスも持ち合わせていたから、それほど難しいことでもなく、キャンバスに絵を描いていくように筆やラインを走らせた
ハイライトの入った顔はより彫りを深く見せ、ブラシで整えた眉は涼しげな瞳をより際立たせ、マスカラをつけた睫毛はその瞳に憂いを与えた
唇はラインを引くと整い過ぎる感じがして、あえて無造作にリップクリームで艶を乗せるだけにした
それがむしろあでやかさをより演出した
鏡の中の自分は思わず身震いするほど美しかった
日頃の俺は冴えない研究者としての日常を送っている
1日パソコンの前でデータと睨めっこしているには高すぎる身長を持て余し、コンタクトレンズが体質的にに合わない眼には牛乳瓶底メガネをかけ、
年に2度ほどしか散髪に行かない髪は伸び放題
ヒゲも気が向かなければ剃らない日もある
人付き合いの苦手さもあって、女性との交際もほとんど経験はない
だから、周りの人間も俺の存在すら気にしていないし、まして俺がそんな美貌の持ち主であることに気付くほど俺を見る人もいないのだ
「これが俺か? ヤバ過ぎる美しさだ
化粧の魔力がこれほどとは!」
ほんの遊びのつもりだったが、このまま誰にも見せないで終わるのは勿体ない!
誰かに見せたいという衝動が抑えきれず、慌てて髪を水で濡らしてオールバックにし、姉の黒のワンピースを体に巻きつけて動画を作った
もちろん何もかもが初めての経験だったが、以前観たこのとあるパリコレモデルのイメージでポーズをとり、怪しげな表情でカメラを睨みつけた
反響は想像を遥かに超えた
「この美女は誰?」
「この美しさは神なんですけど!」
「この人は彼女?彼? もう、そんな事どっちだって良い美しさに平伏してま〜す」
「一体、どこから出てきたの?
今までこんな人どこに埋もれてたの?!」
その反響はとても把握しきれない数に上った
体中の血が逆流する様な興奮を生まれて初めて経験した
この動画を観ている人々の視線の先に映っているのはもちろん本当の俺ではない
でも例えそれが虚像であっても、それが真実かどうかなんて彼らにはそれほど重要なことではないのかも知れない
信じたいものがあることこそきっと強いパワーになるのだ
あれから半年が経ち、増え続けるファンに応えるように定期的に動画を配信する生活を続けている
人の興味なんて何れ失われていくものだ
だから、それまでの間、彼らひとりひとりがそれぞれにその視線の先に描く夢や憧れの象徴として俺が仮の姿でそこに存在してみるのも、それなりに意味のあることかも知れないと思っている
少なくとも背中を丸めながらパソコン相手にデータ収集に追われる自分よりは俺自身が遥かに生きている実感がある
そして俺の視線の先にあるものが、この経験が自分の可能性を広げた未来であることを信じている
『視線の先に』
7/20/2024, 4:32:49 AM