第十八話 その妃、鳴かぬなら
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
百舌宮へ訪れるや否や支える者全員が下がり、茶飲みの席には百舌宮の初依《チュイー》妃とリアンの二人のみが残る。
席に着くと、妃自らが茶を淹れ始めた。湯を注ぐと、ゆっくりと花が開いていく美しい工芸茶。
リアンは、ただその様子をじっと眺めていた。
「中国茶はお嫌い?」
「どうぞお構いなく」
そう笑顔で返すが、焚かれた甘い香には嗅ぎ覚えがある。あまり、長居はしない方がよさそうだ。
「それで、ご用件は何でしょう」
「そう焦らなくても宜しくてよ。時間はたっぷりあるもの」
「申し訳ありません。実は少々仕事を残しておりまして」
濃度からして、恐らく半刻がもつかどうか。
けれどそれを悟られてしまえば、本当にただのつまらない男に成り下がるだけだ。
見透かすような瞳を笑み一つで躱しながら、最悪の事態だけは避けられるよう、頭の中にいくつもの対処策を備える。
「本当に、大したことではないのよ。貴方とお茶を飲みたかったのも本当のことだから。でも……そうね、貴方がどうしても何か話がしたいと言うのなら」
――ホトトギスの話をしてみるのも、面白いかもしれないわね。
「貴方のことだもの。ご存知でしょう?」
「何をでしょう」
「勿論、小鳥の話ですわ。よく言いますでしょう?」
鳴かぬなら、殺してしまえ――……とね。
「鳴かせてみることも、鳴くまで待つこともできますよ」
「わたくしもそう思いますわ。勿論、そうであればいいともね。けれど……」
茶に一口口を付けた妃は、口元に弧を描く。
そして、音に出さぬまま呟いた。
“生きて、帰られるかしらねえ”
……愉しそうに、嗤いながら。
怒りを押し殺しながら、淹れられた茶に視線を落とす。何か別のことを考えなければ、今すぐにでもここから飛び出してしまいそうだった。
「そういえばご存知? 海の向こうでは、特別な日に意中の方へ花を贈るのだそうよ」
「……これが、その花だと?」
「多くは男性から女性へ。勿論、受け取り方は貴方次第。ただ、そうすれば貴方は、今すぐに蝕む毒から解放されるかもしれないわね」
同じ茶缶から取り出され、同じ急須から注がれた湯。
同じ状況で同じものを、目の前の妃が平気な顔で飲んでいるのだ。この茶は本当に、香への中和作用があるのかもしれない。
「瑠璃宮でもお茶を飲まれたのでしょう?」
「そうですね。女性からのお申し出は、基本全部お受けしています」
それでも、笑ってあしらった。
たとえ中和作用があるのだとしても、受け取ればそれは弱みになる。
これ以上、つまらない男になどなって堪るものか。
「ご、御歓談中、失礼致します」
険しい表情で入ってきた侍女。
耳元で囁かれた内容に、目の前の妃は僅かな不機嫌さを滲ませた。
「残念だけど、迎えが来てしまったようよ」
首を傾げて間もなく、茶室へと麗しい妃がやって来る。
「帰るわよ」
俄には信じ難い光景に、思わず頬を抓る。
終いには、「何突っ立っているのお馬鹿」と、手まで引かれる始末。
その光景にか、それともこの扱いにか。百舌宮の侍女たちは次々に悲鳴を上げた。
「……確かに、同じ空気を吸っていると考えるだけで、気分が悪いですわね」
ただ一人、不快そうに扇で口元を隠す妃以外は。
余程神経を逆撫でされたのか。広場での言葉をそのまま返した妃は、主人に冷ややかな視線を向けた。
「今すぐ換気をされては? そうすれば、多少毒の香は薄まるのではなくて?」
今度は“毒”という言葉に、何も聞かされていなかった侍女らの叫び声が次々と上がり始める。
冷ややかさを変えぬまま、じっと睨みつけるような視線に、主人は満足そうに微笑んだ。
「失礼するわ。留まる理由は無さそうだし」
「……いずれまた、改めてご挨拶に伺わせていただきます」
「結構よ。面倒臭そうだし。それに……」
繋がれていた片手が強く握られると、主人はもう片方の手に持つ扇をばっと勢いよく広げた。
「私、毒は盛るより吐く方が好みなの」
そして次の瞬間、突如窓が壊れるほどの突風が吹き荒れる。
目を開けたその時にはもう、二人の姿は百舌宮から跡形もなく消えていた。
#バレンタイン/和風ファンタジー/気まぐれ更新
2/14/2024, 3:44:49 PM