椋 muku

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多少の追い風ならトラック競技では有利になる。それぐらいの事は知っている。まあ、周りにはフィールド競技の奴に陸上なんてわかんねぇだろうなって随分馬鹿にされているけれど。

私が陸上部部長だ。底辺から成り上がってここまで来た。結果で周りを黙らせる、もう誰にも負けるつもりはないから。そう強い意志で努力してきた。
冬のランニングは滑るけど、キシキシと踏みしめる音が存在証明のようなもので安堵感がある。白い息が邪魔くさい、でも会いたい人がいるからそこへ向かって走っていく。ドアを開けるといつものように

「いらっしゃい、蓮ちゃん。次の予約までまだ時間あるし、丁度暇してた。ゆっくりしてって」

と言って優しく微笑む。そう、お洒落な美容室の店長、諒さんは私の恋人。通い始めているうちにお互いに好きになって告白された。付き合ってはいけない3Bに入ってるけど、諒さんはどこか違って真面目な人。それに、私にとって初めてで大切な存在。だからこそ傷付けたくなくて綺麗な私しか見せたことはない。


部活。私が陸上を選んだのは個人競技だから。誰かに迷惑がかかるわけでも、足を引っ張られるわけでもない。実力で頂点に立つことが出来るのだ。
私と違って部員は誰もやる気がない。口では上を目指したいと言っても部活は遊んでばかり。部長として注意はするものの、フィールド競技の奴が口出ししてくんなと反抗的な態度をとるため、私は諦めた。先生がどうかしてくれることもないし。

いつも通りの夕方のランニング。家に帰ってからが私のトレーニング本番。今日も諒さんのいる美容室に…

「おい、お前部長降りろや、蓮。部活の事もまとめられねぇで何が部長だ」

副部長だった。掴まれた腕を振り解いた。今日は美容室に行かない方が良いかもな。もうすぐそこなのに。

「あぁ、蓮は全国目指してるんだったな。記録足りてねぇし調子乗って先生に媚び売るし…ザッコ」

「…雑魚?誰に向かって口聞いてんだよ。部活真面目にやってないのはお前らだろ。地区大会落ちが何言ってんだ。話になんねぇ」

「あ?」

胸ぐらを掴まれて私は一発殴られた。わざわざやり返すのも面倒で少しばかり出た血を袖で拭った。

「てめぇのそういう所が腹立つって言ってんだよクソ野郎」

「女子に先に手出してる時点でお前の方がクソ野郎だ…」

蓮ちゃん!と呼び止める声と怒りに満ちた顔の諒さんが走って来るのが見えた。目の前にはまた一発殴りそうな男子がいるのに。諒さんに迷惑をかけたくはないけど、これ以上殴られでもしたら諒さんがこいつにやり返してしまいそうで。だから私は蹴り倒した。

「頭が高い、立場を弁えろ。そんなに部長の仕事が欲しけりゃくれてやるよ。明日から部活行かねぇから。部長はやめないけどな。文句あんなら結果で示してみろ。下っ端に何言われても通用しねぇし」

諒さんは驚いていた。でもすぐに手を掴んで私を連れていく。

「お、おい、待てよ!おい、蓮!」

「気安く名前呼ぶな!…後で学校に連絡するから、君は早く家に帰って」

いつもより強く握る諒さんの手。あぁ、これから別れ話かな。せっかくできた大切な人なのに、傷つけちゃったな。
店のバックヤード。初めて来るこの場所は薄暗いのに暖かさが残る照明に照らされて心が落ち着いた。

「苦しかったね、蓮ちゃん」

そう言って抱きしめられてすごく驚いた。力が一気に抜けて座り込んだ。諒さんの優しい声に涙が溢れてしばらくの間抱きしめていた。

目が覚めると店のソファに横たわっていて殴られた所は手当をしてあった。

「諒さん、今日はご迷惑をおかけしました。ありがとうございます」

「ううん、いいよ。僕は蓮ちゃんの彼氏でしょ?」

それから私は諒さんに今までの事を話した。部活でちょくちょくああやって部員に呼び出されては殴られていた事、誰も助けてくれなかった事。

「そっか。だから青い痣と傷が少し身体に残ってたんだ…」

「うぇっ!?か、身体…なんで知って…えっ、見、見たんですか!?」

「うん、蓮ちゃんが全部隠したがるからちょっとだけ…ね♡」

「…バカ」

諒さんと久々に長く話せて楽しかった。

「諒さん。私の事、好きですか?」

「当たり前でしょ。僕には全部見せても大丈夫だよ〜?だってはなから離すつもりないし、僕は蓮と結婚するつもりだし」

「蓮!?ってか、け、け、、、結婚!?」

「ほら、ランニング途中だったでしょ?暗くならないうちに気を付けて帰ってね。」

「はいっ!」

店を出て諒さんはお見送りをしてくれた。私が走り出す時、諒さんが「頑張れ」って一言声をかけて背中を押した。不意に風が吹いて、私は勢いよく駆け出した。フィールド競技なのに、追い風も悪くないななんて思うとか私らしくないな。

ただ、止まないでほしい、そう思っただけだから。

題材「追い風」

1/8/2025, 7:02:45 AM