くらべられるものではないだろう、と思うのだった。何についてそう思ったのだったか、まあ、どちらにしても、何にせよ、だ。ふいに。子どものときにした、正確には大人たちにさせられた、弟との背くらべ、その光景を光景として、遠目から、私はみつめていた。周りの大人たちは、何がおかしいのか笑い顔に満ちており、母もその例外ではなく、うしろで、つられて、薄くわらっていた。もーすぐで抜くのぉ、ほんまじゃほんまじゃ、いつのまにそんなに大きくなって、わしらもすぐに越されら、のぉ。大人たちの騒々しいガヤは、視線も含めて、おおかた弟のほうへ向けられていた。弟は、調子づいて、踵をあげたり、チョップの手をつくり空中を滑らしたり、ヘラヘラと、またチラチラと母のほうを向いたり、していた。これもまた、正確には大人たちに煽られるかたちで、させられていたようなところもあるが、弟には大人の要望に応えられる瞬発力が、あの時はたしかにそなわっていたように思うのだ。たかだか、といえば、たかだかだが。そんな光景を思いだしながら、今の弟(すっかり大人になり、あの時の大人たちが言っていた通り、私の頭一個分ほどは余裕で大きくなった)のことも思いだし、何か理由があるわけでもないが、すこし胸が痛んだ。だって私たちは、互いに、見事に、大人になった。あの時周りにいた大人たちに混じることなどいとも簡単にできてしまうくらいに、私たちはもう、おばさんに、おじさんだ。ただそれだけのことに、黄昏れることや打ちのめされることが、ばかばかしいことに、あるのだった。昼間の公園の横や、母校でもない学校の横をたまたま通りがかった時なんかに。それは、ふいに。
7/14/2021, 1:48:38 AM