初音くろ

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今日のテーマ
《今一番欲しいもの》





「ねえ、今、何か欲しいものってある?」

彼女の期待に満ちた眼差しに、僕は「うーん」と小さく唸って考えた。
質問の理由は、もうすぐ僕の誕生日だからだろう。
彼女はサプライズを狙うのではなく、僕が欲しいと思っているものを贈ってくれるつもりらしい。

思い浮かぶものはいくつかある。
だけど、プレゼントとして贈られたいものかと問われると少し微妙だ。

例えば、そろそろ万年筆のインクが切れそうだったな、とか。
あのアイスの新作が発売したから食べたいな、とか。
高校の頃から買ってるシリーズ物の新刊が週末に発売するから買わないと、とか。

どれも必要だったり欲しているものには違いないけど、彼女が求めている答えはそういう類のものではないだろう。
だったらプレゼントされたいものという括りで考えてみるものの、手頃な価格帯で「これ」というものも思い浮かばない。
他の相手だったら、当たり障りなく服や適当な小物などを上げる場面なんだけど。

でも、彼女のこんな顔を見てしまっては何となくそういうのでお茶を濁すのも憚られる。
だって彼女ときたら、僕の口からどんな回答が出てくるのか、それはそれは楽しげに待ち構えているのだ。
その表情からは「どんな物を提示されても期待に応えてみせる」という意気込みが感じられる。

彼女のそんな熱意を満足させつつ、僕が本心から喜べるもの――そんなの急には思い浮かばない。
どうしたものかと考えていると、彼女はくすりと笑って僕の袖をくいくい引いた。

「そんなに難しく考えないで。私があげられるかどうかは一旦脇に置いて、今一番欲しいものを教えてよ」
「今、一番欲しいもの」
「うん。物とかじゃなくて、行きたい場所とか、したい場所でもいいよ」

それをヒントにプレゼントを考えてもいいし、だからもっと気楽に考えて。
そんなことを言いながら彼女が笑みを深くする。
まるで出来の悪い生徒を見るような「しょうがないな」と言いたげな表情に、僕は自分が思いのほか肩に力が入り過ぎていたことを自覚した。

彼女は僕より年上で、非常に『デキる』人だ。
それに対して僕はといえば、平々凡々、どこにでもいるような、うだつの上がらない冴えない男で。
せめてこういう場面では、さらりと彼女の望む答えをスマートに提示できたらいいんだろうけど、そんなことさえ出来ずに彼女からフォローされる始末なのだから情けないことこの上ない。

「一番欲しいものなんて決まってる。あなたの隣で堂々と胸を張って立てる自信が欲しい」

思わずぽろりと本音が零れ落ちた。
本当は決して口に出して言うつもりのなかった言葉。
それが、意識もしないまま、僕の口から躍り出てしまった。

しまったと青ざめるも時すでに遅し。
覆水盆に返らず、一度口から出た言葉は戻すことも叶わない。
恐る恐る視線を向ければ、彼女はぽかんとした顔で僕を凝視していた。

「ご、ごめん、なんか情けないこと言っちゃって」

どもりながら詫びてみるけど、彼女は目を丸くしたまま微動だにしない。
気を悪くさせてしまったのではないかと思いつつ様子を窺っていると、ようやく我に返って再起動したらしい彼女がパチパチと瞬きをして改めて僕をまっすぐ見据える。
その眼差しは、心なしか、獲物を見定める狩人のような鋭さだ。

「自信……自信かあ……」

頭のてっぺんから爪先まで、観察するように彼女の視線が動いていく。
僕は知らず知らずの内に身を強張らせ、ごくりと唾を飲み込んだ。

「自信なんてものは一朝一夕でどうにかなるものでもないけど、まずは形から入ってみようか」
「え?」
「ラノベなんかでよくあるじゃん? 自分に自信のない女の子が、外見を磨かれて少しずつ自分に自信を持ってく、みたいなやつ。大丈夫、自覚がないだけで素地は良いセンいってるし、磨けば光る逸材だから。もちろん、中身の方もね。でもまずは外側から磨いてみよっか」

にっこり笑って力強く断言した彼女は、慌てる僕を置いてきぼりに、早速美容院やらメンズエステやらの予約を入れていく。
服は誕生日当日に彼女のコーディネイトしたものをプレゼントするからと、それはそれは良い笑顔で宣言された。
中身の自信についても、後日ゆっくりじっくり自覚を促してあげるからね、と。

どうしよう、僕の彼女がイケメン過ぎてつらい。
これがラノベだったら完全に男女の役割が逆じゃないですか!?

こうして僕の自信育成計画の火蓋は切って落とされたのだった。





7/22/2023, 9:32:45 AM