あると

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『声が聞こえる』

 夜の砂浜。

 潮風とさざ波の音だけが耳を掠める。

 何の目的もなく、ただ一人で砂浜を歩いていた。

 そのとき、声が聞こえた。

 少し離れた崖の上。一人の少女が立っている。童謡のようなリズムで、素朴な声が言葉を紡ぐ。
 歌詞はたぶん、英語だと思う。

 儚げで、決して大きな声ではないけれど、下にいる私にもよく聞こえた。
 少女は自らの腹部に手を当てて、時々撫でているように見えた。歌うときの癖なのかもしれない。

 少し叩けば壊れそうな歌声だった。泡沫のようだ。
 綺麗なのに、とても痛々しい。
 彼女の見えないところに、まだかさぶたができていないジクジクした傷があるような気がした。

 ____あの子の傷を、潮風が刺激しませんように。

 てきとうに歩いていたこの砂浜でも、ふと聞こえてきた声の先にも、きっとこんなふうに、物語が広がっているんだろう。
 それは楽しい話かもしれないし、悲しい話かもしれない。

 でも、声が聞こえるだけで、その先を思い描けるなら。それはきっと、本や映画よりもよほどリアルなノンフィクションになると思う。
 それが見えるなら、こういうてきとうな散歩も悪くないかもしれない。

9/22/2024, 10:48:12 AM