薄墨

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ぐちょぐちょの地面の浅い窪みに水が溜まっている。
雨は止んでいる。

小さな窪みの水面に、ぽかりと雲が浮いている。
空が映っている。
いくつかの雲を抱えたまま、晴れた空が。

どこか踏んでしまえば、すぐ泥が流れ込んで濁ってしまいそうな空が、足元にある。

水たまりに映る空を踏んでやろう、空を踏みつけよう、そう思った。
仕事も上手くいかず、むしゃくしゃしていた。
だから腹いせに、水たまりに映る空を、青い空を、踏みつけてやろうと思ったのだ。

深く踏みつけてやるつもりで、足を持ち上げた。
そして…____

「この星の滅亡が決まったのは、まさにこの、かの生物が水たまりを踏んだ後であったと言われています。今から1000年前のことです」
太陽系惑星観光ツアーのツアーガイドは、水たまりに映る、濁った青い空を指してそう説明した。

「1000年前といえば、みなさんご存知のように_第一次銀河星系間戦争の只中です。太陽系は、生物が活動する星がたった一つであり、星間や銀河系間の移動技術が発達していなかったため、侵略戦争が生まれておらず、第一次銀河星系間戦争には不参加でありました。ところが」
ツアーガイドは、何千万縮小かの模型を取り出し、説明を続ける。

「ところが不運なことに、1000年前、この太陽系は、我が銀河系で開発されました妨害兵器、“分子固着装置”の軌道上に位置していたのです」
「それがなぜ不運だったのかと言いますと、それはこの星の生物の生態にあります」
「研究の結果、どうやら彼らは、分子の切り離しや結合によって得られるエネルギーを用いて、技術革新や開発、さらには生命維持までを行っていたようなのです」

「そのため、“分子固着装置”の影響を受けたこの太陽系の環境で、それまでの生物は生きていくことができず、彼らは、このように文明や生態、存在の痕跡のみ残して、滅んでしまったと、考えられています」

「この星の生物、とりわけこの足跡を残したとされる“人類”と呼ばれる種は、分子間エネルギーの利用については、深い知識と、我々から見てもオーバーテクノロジーといえる、恐るべき技術を持っていたと言われています。_最近のサブカルチャー文化でも、“もし太陽系が大戦に参加していたら…”なんてものも人気ですね」
ツアーガイドは一気呵成に説明し、観光客に向けてにっこりと笑いかけた。

「今日は、_不運にも、そして皮肉なことに_分子固着装置によって滅び、寸分欠けることなく保存されている太陽系惑星の色彩に溢れた美しい環境と、独自の発展を遂げた恐るべき技術や文化の痕跡を巡って参ろうと思います。それでは、分子エネルギーによって形作られた、太陽系地球での旅をお楽しみください」

水たまりには青い空が映っていた。
“人類の足跡”に踏みつけられ、濁りの混じった、信じられないほど美しい色彩をしていた。

6/5/2025, 10:50:08 PM