「やーだ!」
「こんなに汚れているんだから、ね!?」
玄関前で、大きなぬいぐるみを片手にした青年と、その恋人が大きな声をあげていた。
このぬいぐるみは、元は白いうさぎのぬいぐるみだったのだろう。だが、今は見る影もなく茶色いマーブル色をしていた。
「大事なんだもん、やだ」
「それは分かってるよ。でも、家にあってもどうにもならないでしょ。俺を信じて、ね?」
その言葉に動きが止まる彼女。
「その言い方は……ズルいです」
「うん、でも信じて欲しいな」
「わかった」
「ありがと。少しの別れだから。すぐ帰ってくるからね」
彼女をなんとか説き伏せて、家を出た。
腕には白いうさぎのぬいぐるみだったもの。
これをなんとかしないと。と、青年は考えながら職場に足を向けた。
それは今朝のこと。盛大に彼女が居間で転んだ。
転ぶだけなら良かったのだが、彼女が持っていたマグカップが、中身ごとソファと鎮座していたうさぎぬいぐるみにナイスショットをぶちかましていた。それはもう見事……いや、無惨なほどに。
白を基調にしたうさぎのぬいぐるみは、マグカップの中身――コーヒーの色に染まった。
いっそ、全部かかっていたらコーヒー色だと思えそうなものだが、今回は綺麗なマーブル色に染まってしまったのだ。
このシミを何とかしようと色々試行錯誤したのだが、素人には難しい。
この白いうさぎのぬいぐるみは、一緒に暮らす前から大事にしていたと知っている。
だから〝捨てる〟と言う選択肢は無かった。だが、離れ難い気持ちが先行したのだろう。持っていくことを拒否されたのだ。
それで気がついた。
彼女にプロに任せようと伝えただろうか。〝持っていくね〟だけしか伝えていない気がした。
「俺も説明が足りなかったのかも」
それは嫌がられても仕方がないと反省しつつ、〝俺を信じて〟の一言で、引いてくれた恋人に胸が暖かくなった。
青年は腕の中にいた、マーブル柄になったうさぎのぬいぐるみを持ち上げる。
「ちゃんと綺麗に、元通りにしてもらうからね」
後日、汚れ含めて綺麗になったうさぎのぬいぐるみが彼女の元に戻った。
突然だったが短い別れ。そしておかえりと微笑む恋人に安堵した。
「そのぬいぐるみ、大切になった理由を聞いていい?」
ふと聞いてみたくなった青年は恋人に言う。すると、頬を赤らめた彼女がイタズラっ子のような笑顔を向けた。
「だって、あなたに似てるんだもん」
おわり
お題:突然の別れ
5/19/2024, 2:15:41 PM