こより

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「優しくしないでいい!」
「強情な人質サマだこと」
「ひとじち? 私には『ヒメ』って名前があるの!」
「いやそれ名前じゃなくて敬称」

 ヤだなぁ子守りなんて。と吐き捨てた王子は目の前の小さな姫君を見下ろした。敵国の第一王女。齢五歳の無力ないのち。可哀想に両国の友好関係のために寄越されたこの子は、自分の周りが敵だらけなのは理解しても、人質であることも、その意味もわかっていないらしい。
 ふくよかな瞳。太陽をふんだんに食べた頬。風と遊ぶ髪。姫君を構成する全てが、あの子が愛されて育ったことを物語っていた。自分とは正反対。自嘲したのち、あいつ嫌いだ、と嫌悪。況や嫉妬とも言う。
 兎にも角にもあの少女とは合わないと思った。礼儀は尽くすが、最低限の接触だけで済むようにと考えた。それが彼女との出会い。

 然りとてそうもいかないのが人生。結局彼女の人生に寄り添うようにして王子は生きた。
 王女は美しく優しく育った。決して善い環境なんかじゃなかったのに、甘やかな奇跡を纏った女へと成った。

 人質。敵国の王子。立場はなにも変わらず。されど、同じ時、同じ場所で息をしている。くだらない会話で笑い合う幸福の滑稽なこと。そして、緩やかに同じ熱を共有して、軈ては汗ばんで、次第にぬるまって冷えて。
 そうやって重ねる暦の、季節のすばらしさよ。

 愚かだと思う。それでも、王子はぬるま湯のような日々を愛してしまっていた。願わくば、この日々がずっと。とも。

 然りとてそうもいかないのが人生。安寧も、平穏も、続かない。元々が薄氷の上にしかなかった。

 焼け野原であろう故郷に意識を投げる。こうならない為の人質という制度だったのに、と掠れた声で王子は呟いた。

「……私だって、必死に反対したよ。私にとっても、あそこでの日々は優しくて楽しかった」
「……はは、そりゃよかった」
「ごめんなさい、お父様を止められなくて」
 
 頭を下げる。もうなにもかも手遅れだろうに、真摯に謝る彼女は、やはりどこまでも美しかった。

「……王子から捕虜に転身だな」
「そんな風に言わないで。丁寧に応対するから。……決して死なせはしないから!」

 捕らえた敵国の王族がどうなるか、なんて。言うに及ばず。今更彼女にどうこうできるとも思えない。この先の未来は分かりきっている。
 世界で一番醜い、誰にも愛してもらえなかった生だ。そのくせ、愛してほしいだなんてこの上なく浅ましいことを願ったようなせいだ。化け物みたいな生だ。民も国も守れなかったせいだ。だから。

「……優しくしないでいい」


 最期に見たかんばせは、やさしい夢に似ていると思った。




お題/やさしくしないで

2/3/2025, 5:02:01 PM