初音くろ

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今日のテーマ
《ごめんね》





普段は温厚で滅多に怒らない人が怒ると途轍もなく怖い。
私の場合、その対象は隣に住む幼馴染みである。
私の意地っ張りも強がりも全て理解した上で、大抵のことは「しょうがないな」と苦笑いで許容してくれる。
クラスでは密かに『菩薩』なんて渾名もついているくらい。
誰にでも親切で優しいから当然ながら男女問わず大人気だ。

そんな彼と幼馴染み特権で特に仲の良くしている私は、時々やっかみの対象となる。
日直の日誌を提出して教室に戻る途中、廊下で隣のクラスの女子に数人に囲まれてる今みたいに。

「あんたさ、いっつも彼にべったりくっついてるけどウザがられてるの分かんないの?」
「優しいから突き放せないだけで内心きっと迷惑だって思ってるよ」
「ていうかさ、中学にもなって幼馴染みとか言って距離感バグってるのヤバくない?」

すごい、まるで漫画や小説の世界だ。
こんなこと現実にもあるんだね。
文句の内容までテンプレなの、逆にすごくない?
それなりに人気があるのは知ってたけど、これほどとは思わなかったな。

頭の中でそんなツッコミを入れてるのは、別に余裕があるわけじゃない。
いきなり暴力振るわれるとかはないと思うけど、だとしてもこんな風に不意打ちで複数人に囲まれたら普通に怖い。
数の利もあって彼女達は気が大きくなっていて、私が反論しないのをいいことにその勢いは段々エスカレートしてきてるし。
だけどここであからさまに怯んで見せたら相手の思うつぼ。
私にできるのは、先生が偶然通りかかってくれないかなと祈ることくらいだ。

言わせてもらえば私から彼にべたべたくっついてるわけじゃない。
物心ついたころから世話焼きしてる延長線か、はたまたお母さんから宜しく頼まれてるからという使命感か、とにかく向こうは私を庇護対象か何かだと思ってるようで、頼むまでもなく寄ってくるのだ。
その甲斐甲斐しい様子を毎日眺めてるクラスメイト達からは、彼は私の「おかん」として認識されているほど。
だから、たぶん彼女達が考えてるのと現実とでは関係性が微妙に違うんだけどな。

彼にしてみれば、私は同い年ではあるけど妹みたいなものなんだろう。
分かっていて、それでも自分から距離を取らないで構われるのに任せているのだから、彼女達の言い分ももっともかもしれない。
彼に特別な相手ができるまでは――そう思いながら、いじましく幼馴染みとして一番近い場所をキープしてるわけだし。
そう考えれば、やっぱり私は彼女達からのやっかみを気の済むまで甘んじて受けるべきなのだろうかとも思えてくる。
私のせいで彼の出会いを妨げてしまってる可能性だってあるんだから。

聞いてるふりをしながら適当に聞き流している内に、彼女達の文句は暴言に近いものになってきている。
私の反応があまりに薄いせいで苛立ちが余計に増してしまっているのだろう。
だからといって下手に口答えなんかしたら手が出る可能性もある。いや、放っておいてもそろそろ出そう。

「カノジョ面してウロチョロしてんのマジでウザいんだけど」
「黙ってないで何とか言えよ!」
「痛っ」
「何してるの?」

彼女達の内の1人が怒りに任せて私の肩を強く掴んだその時、まるで見計らったかのようなタイミングで声がかかる。
それは聞き違えようのない、彼のもので。
声のした方に目を向ければ、いつもの笑顔を引っ込めてこちらに駆け寄ってくる彼の姿があった。
彼女達は慌てた様子で私から距離を取り、気まずそうにどう誤魔化そうかというようにお互い目配せをしている。

「イジメの現行犯かな」
「イジメだなんてそんな……違うよ、ちょっとした口喧嘩っていうか」
「そうそう、ちょっと話してただけで……」
「カノジョ面してどうのこうの言ってたよね」
「えっと、それは……」
「俺からすると、友達に因縁つけられる方がマジでウザいし迷惑なんだけど」

ああ、これは怒ってる。途轍もなく怒ってる。
『普段怒らない人ほど怒ると怖い』の典型で、彼の静かな怒りは人の肝を冷やさせる。
私が怒られてるわけでもないのに、こっちまでその怒りに中てられて怖くなってきてしまう。
ぶっちゃけ彼女達に囲まれてた時より数段恐怖を感じてる。
そしてその怒りを正面から向けられた彼女達は完全に顔色を失ってしまっている。

「大勢で取り囲んで、俺が声かけなかったらそのまま暴力振るってたよね? ていうか、肩掴んでたから警察に届ければ傷害罪くらいなら――」
「もういいから」
「でも」
「大丈夫だから。ね?」

宥めるように彼の腕を引くと、渋々といった様子で口を閉じる。
さすがにこんな子供の喧嘩レベルで警察沙汰にするつもりはない。
彼だって本気で言ってるわけじゃないだろう。
でも具体的な罪状を上げられたことで彼女達は自分達がしたことを改めて自覚したらしい。
青ざめた顔と震える姿はさっきまでとは大違いで、立場は完全に逆転していた。

「本人がそう言ってるから今回は大事にはしないけど、さっきのは写真撮ったから、次があったら公にするから」
「は、はい」
「ごめんなさい!」

口々に謝って、脱兎のように逃げていく。
その様子は滑稽でもあったし、また少し可哀相でもあった。
好きな相手にあんなとこ見られて、逆鱗に触れて、脅されまでしたんだからそのダメージは相当なものだろう。

「あいつら、俺に謝ってどうすんだよ」
「まあまあ。これでもう絡まれることはないだろうし。ありがとね」
「おまえは甘すぎ。でも、ごめん。俺のせいで、なんか面倒なことに巻き込んで」
「いやあ、すごいね、漫画みたいだった。あんなの現実にあるんだねえ」

さっきまでの怖さはすっかり消え去り、しょぼんと項垂れて彼が謝る。
大丈夫だからと安心させるようにポンポン腕を叩いて、私もやっと安心して肩の力を抜いた。

「怖かったよな? 俺、学校では距離置いた方がいい?」
「いいよ、今更だし。お互い誰か好きな人ができたらその時に考えたらいいじゃん」
「好きな人」
「そう。それまでは今まで通りでいいでしょ」

意識しながら軽い調子でそう告げると、彼はどこか複雑そうな顔をしながらも頷いてくれた。
私を心配してだとしても、距離を置かれずに済んだことにホッと胸を撫で下ろす。

ごめんね。どんなに外野からヤジを飛ばされても、彼に好きな人ができるまではこの位置は譲れそうにない。
喩えそれが、彼の出会いや恋のチャンスを奪うものだとしても、彼から離れていかない限り、私からはこの手を離すのは無理。
そんな日がずっと来なければいいのにと願いながら、私はもう一度彼に対して心の中で「ごめんね」と呟いた。


彼の過保護の理由が恋心による独占欲だと私が知るのは、もう暫く先の話。





5/30/2023, 9:40:41 AM