「“透明な涙”ってさぁ、矛盾してると思うんだよねぇ〜」
珍しく僕の家に遊びに来た幼馴染みのなっちゃん──本名、中秋名月(なかあきなつき)──は相変わらず自由奔放な宇宙人みたいな子で、僕よりも先に僕の自室にズカズカと進んでいき許可なく勝手に中に入り、そして本棚に並べられた文庫本を暫くキョロキョロと見渡したあと、その中から適当な一冊を取り出したかと思えば僕のベッドの上で当然のように胡座をかき、一人読書を始めてしまった。あれ? おかしいな······ここ、僕の部屋のはずなのに······。
とは言っても、なっちゃんはいつも大体こんな感じの子だ。自由に生き動き回る彼を、誰もかれも止めることなんて出来ない。それは、どんな奇縁かなっちゃんの幼馴染みというポジションに長年収まったままでいる僕にだって言えること。なっちゃんの奇行の中ではこんなのまだまだ序の口で可愛い方だと思う。つまりは慣れっこだ。
普段だったら、僕も僕で他のことに没頭して過ごすんだけど······今日は何となく、なっちゃんに倣ってベッドの上に乗っかって、なっちゃんの隣に両膝を立てて座り込み、背後の壁に背中と後頭部を預けた状態でただひたすら、彼が本を読み終えるか途中で飽きるか、とにかく次のアクションを起こすのを待ち続けていた。
大体一時間ちょっとぐらいだったと思う。なっちゃんは文庫本をパタリと閉じて、横にいる僕に向かって冒頭の言葉を投げつけてきた。
「む、矛盾······? してる、かなぁ······?」
なっちゃんの言う「矛盾」が、僕にはまるでわからなかった。なっちゃんほどじゃないにしても、僕も国語はそんなに得意な方じゃなかったし······でも、涙には色なんてついていないんだから、“透明”という表現で何も間違ってはいないんじゃないのかな、って思った。怖いから、そんな意見をなっちゃんの前で言うことなんて出来ないけど。
「仁臣(ひとおみ)さぁ〜? それちゃんと考えて発言してる〜? 僕国語苦手だけど、透明な涙なんて表現絶対おかしいってば〜。仁臣、僕より国語の成績良かったはずだよねぇ〜? ピアノばっか弾いてるうちに日本語忘れちゃった〜?」
「ぅぐぅ······」
僕はぐうの音も出せずに黙り込む。いや、それに近しい言語は発したかもしれないけど。流石なっちゃん······今日も言葉の切れ味が鋭いなぁ······。
「だってさぁ〜よく考えてみてよ? 透明って、透明人間の透明と一緒ってことだよ? じゃあ透明なものって目に映らないはずだよね? でも涙ってさ、目から垂れ流したら普通に視認出来るじゃん? おかしくない?」
「た、確かに······? あ、でも······水とか、無色のものを透明って言ったりもするから······」
「水が無色で透明〜〜〜???? バッカじゃないの????」
「ひぅぅ······」
ダメだ、なっちゃんどんどんヒートアップしてきちゃった······。幼馴染みの僕ですら、昔からこの調子で付き合いが続いてて未だに耐性らしい耐性もつかないまま、なっちゃんにビクビクしながら過ごしてるのに、なっちゃんの恐ろしいところは「長年の付き合いの幼馴染みの仁臣」だからこんな態度を取っているわけじゃなく、特別仲良くない人だとか何なら初対面の人を相手にしても全く態度が変わらないらしい、というところだ。臆病な僕には絶対に、死んでもそんな真似出来っこない。やっぱりなっちゃんって凄いなぁ······と感心してしまう。態度はちょっと······アレだけど。喋り方もちょっと······アレだけど。
「はい、ここでおバカな仁臣くんにとっっってもピッタリな問題で〜す。絵の具やクレヨンで水や涙に色を塗る時、何色を使うでしょ〜〜〜か!」
「え? え、っと······水色······とか、青とか······?」
「はい、正解〜〜! よかったねぇちゃんと答えられて。これ外してたら僕、暫く君のこと幼稚園児扱いする気満々だったからさぁ〜!」
「ピェ······」
思わず変な鳴き声を上げてしまった。この容赦のなさ、なっちゃん! って感じ······。
「まぁそれは置いておいて〜。つまり、水とか涙ってものは実際に見たら色なんてついていないように見えるけど、“水色”って色があるぐらいなんだよ? それはもう、概念として根付いちゃってると思うんだよねぇ〜。さっき仁臣がすんなり答えたみたいに、世の中の人達は“水色”のことを“水分の色”だと認識して生きてるってこと。ね? 透明なのにちゃんと見える。何ならしっかり色まである。だから僕は、“透明な涙”はおかしい! って言ってんの」
「な、なるほどー······?」
なっちゃんは確かに国語は得意じゃなかったけど、理数系にはとことん強くて、それだからなのか、物事を突き詰めて答えを出すという力に優れていると思う。曖昧さを嫌う、とでも言えばいいのかな。普通に勉強してればとっても賢く見えるはずなのに、勉強して得たもの全てを宇宙人の捜索という方向にリソース割いちゃってるのが、何かこう······なっちゃんって感じ。うん。
「じゃ、じゃあ、なっちゃんは水色の涙だったら許せるというか、そんな感じ······?」
「ハァ? 別に、特に水色の涙に拘りとかあるわけじゃないけど? 幽霊とか悪魔とかだったら赤い涙とか黒い涙とか流すかもしれないじゃん。あ! 宇宙人って何色の涙流すんだろ〜〜!? 黄色とか? うわあ〜〜〜気持ち悪くて最高じゃん黄色!!」
「え、えぇえ······」
いつものこと。そう、いつものこととはいえ······やっぱり僕の幼馴染みは──なっちゃんは、何もかも予測不可能な自由人で宇宙人だ。人当たりも口調もキツいけど、しかも本人には全く自覚がなくてこれでも友好的に接しているつもりらしいってところが怖すぎるけど、昔から変わらず、変わらない距離を保ち続けたまま一緒に居てくれる。何だかそうやって考えたら、なっちゃんって地球にとっての月みたいなものなのかな? なんて、そんなことをぼんやり考えていた。
「ああ、でも」
そんな僕に向け、なっちゃんは言った。
「透明な涙も、もしかしたらあるのかもね? 例えばだけど、顔じゃなくて心の中で泣いてる、今の仁臣とか」
僕は。僕は······僕は、何も言葉を紡げなくて。
「なに、その顔? 僕が知らないとでも思ってた〜? コンクールでポカやらかすの、これで何回目だっけ〜? ちなみに僕数えてないから知らないよ」
ベッドから立ち上がったなっちゃんは、手にしていた文庫本を元あった場所へときちんと返してくれて、未だに動けないままでいる僕に向かって「じゃ、お邪魔しました〜」と笑顔で告げ、帰っていった。
······そう、本当だったら。今日みたいに、なっちゃんが自分の好きなように一人で時間を使っている時は、普段の僕だったらピアノの練習に勤しんでいるんだ。一つの譜面を何回も、何回も、何回も······指に動きを染み込ませるために。人が無意識に呼吸をし、足で歩くのと同じぐらいのレベルで、指が譜面の上を歩けるようにと。今日の僕がピアノを弾かなかった理由、どうやら最初からなっちゃんには筒抜けだったみたいだ。
「何か······ほんと、なっちゃんだなぁ〜」
ポスリと体を横に倒し、ベッドに埋もれながら、僕は今日何回目になるかわからないいつも通りの感想を音にして口から溢れさせたのだった。
◇◇◇◇◇◇
TRPG(CoC)で使用している自PCの幼馴染み組で書かせて頂きました。
中秋名月(なかあきなつき)
・宇宙人愛好家の大学生
・いつか宇宙人を探し出して捕獲して友達になるのが夢
・口も悪けりゃ性格も悪い倫理観ナイナイクソガキ
一十三仁臣(ひとみひとおみ)
・音大生。ピアノの腕はちゃんとあるのに極度のあがり症でコンクールに出ても結果を残せない
・心を強くするためにまずは体を鍛えようとキックボクシングを軽く習いに行ってる(でも心折れそう)
・身長は低いが地味に顔が整っている(本人は気にしていて顔を俯かせがち)
1/16/2025, 2:13:00 PM