七雪*

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 青い空が何処までも続くだだっ広い平野の真ん中に、
その店はあった。人並みの途絶えた所にあるその店は、
風変わりな祖父が昔構えた物で、通りに硝子を挟んで面した
木製の棚には古本が疎に積まれている。店の中は、さながら
昭和の商店街の一角の様だ。壁には色の褪せたポスターが
当時と変わらぬまま残されている。

 少年が此処にやって来たのは三日前のことだ。
祖父の訃報を聞き、両親と共にこの土地に帰って来た。
丁度今は夏の半ばであり、少年は夏休みをこの土地で過ごす事となった。久しぶりに会った祖母は、十六になった少年の姿を見て、以前より皺の増えた顔ににっこりと笑みを浮かべて
笑っていた。葬式の後も、祖父の思い出話は続いていた。
その時に、この店の事を聞いたのだ。

 初めて目にした祖父の店は、主人を失った事で酷く寂れて
見えた。入り口の鍵を開け、中に足を踏み入れる。
長いこと人が立ち入っていなかったのだろう。店内は薄く埃が積もっており、店の奥にはストーブがそのままにされている。
少年はまず窓を開けて外の空気を入れ、はたきで埃を落とし
始めた。雑巾で棚を拭き、箒で店内の塵を隅から隅まで
集めた頃には、東に在った日はとうに西に傾いていた。

 翌日少年は祖母に、此処に居る間自分に店番をさせて
欲しいと頼み込んだ。祖父の管理の無くなった店は、
遅かれ早かれ取り潰されてしまうだろう。その前に、少年は 祖父の愛した店で過ごしてみたかったのだ。そんな少年の
願いを、驚いた様子で、しかし嬉しそうに祖母は聞き入れて
くれた。

三日経っても、相変わらず店は閑としている。
そもそも、人里から距離のある寂れた古本屋にわざわざ足を
運ぶ物好きは滅多にいないだろう。少年は早々に夏の課題を
取り出して独り筆を走らせた。
それからしばらく経ち、時計が一時を指した頃。
突如静かな店内にリンと鈴の音が響いた。はっとして少年が
顔を上げると、一人の青年が来店したところだった。

「すいません。店、開いてますか?」
少年に気付いた彼は、にかりと明るい笑みを見せて少年に
尋ねてきた。
「あ、はい。開いてます」
急な来客に、少年の声が裏返る。
青年は少年の元に近づくと、辺りを少し見回して尋ねた。
「あの。今日はじいさん……店主のお爺さん、いませんか」
成る程、祖父に会いに来たのか。
少年はカウンターの上の課題を退けると、青年に祖父は
亡くなった事、今は自分が店番をしているという事を伝えた。
その話を聞くと、青年は悲しそうに顔を歪めた。
「そう、ですか。此処のじいさん、亡くなったのか……」
ご愁傷様です、と告げる青年に、少年は不意に理由を聞いて
みたくなった。
「何故祖父を訪ねて来たのですか?」
 少年の言葉に、彼は懐かしむ様に店内を見渡す。
少し考える素振りを見せた後、君はお孫さんだったね、
と話を切り出した。
「僕はね、小さい時はここら辺に住んでたんだ」
カウンターの前の小さな椅子に腰掛け、青年は語り出す。
「よく走ってここまで来てさ、おじいさんの横で本を読んで
たんだ。特に乗り物の本、好きでさ。じいさんに
あれはなにー、これはなにーって、ずーっと聞いてたんだ。
じいさんは、いつだって面倒臭がらずに答えてくれた」
青年の目線を追うと、子供向けの絵本が置かれた背の低い棚に行き着いた。その上には本だけでなくミニカーも置かれて
いる。
「小学2年生の頃に親の転勤で此処を離れる事になった時、
じーさんに挨拶に来たんだ。そしたらじいさん、
俺の好きだった乗り物図鑑と、新品の辞書をくれたんだ。
遅めの入学祝いだって言ってさ」
青年は息が詰まった様に一瞬押し黙った。
確かに祖父は変わり者だったが、子供には優しかった。
少年も、幼い頃は度々祖父に遊びに連れて行ってもらっていた事をふと思い出す。
「だから、何か恩返しがしたくてね。大人になってから、
ここに会いに来たんだよ。でも、もっと早く来れば良かった
なぁ」
目の端に浮かんだ涙を袖で拭い、青年は吐露した。
そんな彼を見て、少年は口を開く。
「きっと、天国で喜んでいますよ。貴方が立派に成長した姿を見て。そうだ、お線香上げていってくれませんか。祖母にも
顔を見せてやって下さい。きっと喜びます」
青年は目を見張って、いいのかい、と問いた。
もちろん、と少年が返すと、青年は顔を綻ばせて感謝の言葉を伝えた。

 少年の案内で祖父の家に着くと、玄関で迎えてくれた祖母が青年を見て、懐かしそうに彼と話していた。
祖母も彼の事を覚えていたらしい。
祖母に菓子折りを渡すと、彼は仏壇に移動して手を合わせて
いた。心なしか、少年は仏壇に置かれた祖父の写真が
いつもよりも微笑んでいる様に見えた。

 時計が五時を回った頃、少年と青年は再び祖父の店に
訪れていた。この店ってこんなに狭かったんだな、と青年が
一番背の高い棚の本を手に取って捲る。少年も、気になった
小説を手に取り読み始める。ページを捲る音だけが静かな店内に響く。朝までは少年しかいなかったこの空間も、二人の人間がいる事で少し満たされて感じる。店の中を取り巻く静寂も、
いつもよりも居心地良く思った。
古本屋という小さな本の世界に二人ぼっちだ。
 ふと、脳裏に先程の青年の思い出話が蘇る。
祖父がこの場所に店を構えた理由が何となく分かったような、そんな気がした。


 最後の客が去った日。扉の鈴の音は朱く焼けた空に
  静かに溶けていった。



『二人ぼっち』

3/22/2023, 3:25:25 PM