あまり

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過去と今の私に連続性があったとして同一ではない
私が私だと思っている私こそが私だと思うのは傲慢だ
何故なら意識は表層でしかなく知覚できない無意識もまた私なのであるから
0.5秒後の世界しか認識出来ない私を
投石から庇うために右手を上げたのもまた
私なのである
視界の端のブラックサンダーを食べたいがために
なんか小腹が減ったなーと思わせたのもまた
私なのである
しかしその無意識がどこに宿るものなのかはわからないのである
私の右手の小指の爪先まで、
それはやはり私なのである
さて、何が言いたいのかというと、
今日にさよならということはそれ即ち
今日の私と永遠にさよならなのである
人間生きている限り代謝をし続けるものなので仕方ないのである

ぱちん

私を守ってくれたかもしれない右手の小指の爪を切り落とす
生きるとは毎秒さよならなのである
私の中を循環する空気も吸って吐くたびに入れ替わるのだからそれもまたさよならしかし吐いた息にすら私が宿っているのかもしれないので世界を循環するすべてが私なのかもしれないのである

ぱちん

だから私は私を世界から断ち切ることで
私が私であると言い張ることで
私とあなたを切り離すことで
孤独ではなくなったのである

つまり、今日にさよならすることでそれは今日の延長ではなくなり今日と昨日になり私は孤独ではありません、大丈夫

明日の私はきっと、
なんとかであるなんて言葉使いはしないから


『今日にさよなら』

2/18/2023, 12:51:14 PM