今日は友人の香織と二人で、執事喫茶に来ていた。
香織が演劇部の劇で、『お嬢様の役をやることになったが、うまく演じれない』と相談を受けたのだ。
そこで私はお嬢様の練習にちょうどいいと思い、行きつけの執事喫茶に連れてきた。
ここでお嬢様として振舞うことで、役への理解を深めてもらおうという算段だ。
扉を開けると涼し気な鈴の声が鳴り響き、店員もといイケメンの執事がやってきた。
「お帰りなさいませ。お嬢様。こちらです」
執事の案内でテーブル席に座る。
「ありがとう。いつものやつ、二人分よろしく」
「かしこまりました」
そう言うと、執事は恭《うやうや》しく礼をして去っていく。
ちなみに『いつもの』と言っても、私がいつも注文する料理が運ばれてくるわけではない。
『いつもの』と言うのは符牒であり、オシャレな日替わり定食が出てくるだけだ。
ようはただの雰囲気作りである。
私たちのやり取りをみて、香織がうっとりしながらため息をつく。
「紗良ちゃん、堂々としているね。本当にお嬢様みたい」
「あら香織さん、何を言ってますの?
ここではあなたもお嬢様よ。お嬢様らしく振舞いなさい」
「無理だよ。恥ずかしいもん」
香りが弱気になっている。
無理もない、誰だって初めては緊張する。
ここはひとつ、先輩お嬢様として後進の育成をするとしよう。
「しかたありませんね。私が力を貸しましょう」
「紗良ちゃん、ありがとう」
「感謝はいりませんわ。これもノブレス・オブリージュですから」
「のぶれ……何?」
「ノブレス・オブリージュ。簡単に言えば貴族の義務というものですわ」
「へー」
香織は分かったのか分かってないのか、よく分からない顔でうなずく。
「では香織さん、これを見なさい」
「……紗良ちゃん。これはいくら何でも……」
私が取り出したのは、紐を括り付けた五円玉、すなわち五秒で作れる簡単催眠術道具である。
ここに来ることが決まったとき、香織が絶対にぐずると思ったので用意したのだ。
プロがやるならともかく、素人のやる物である
効果があるわけがないし、あっては困る。
だが私の狙いはそこではない。
「勘違いなさらないで。私が催眠術をかけるのではないの。
あなたが催眠術にかかるの」
「それはどういう……」
「始めるわ」
私は香織の顔の前に五円玉を垂らし、ゆっくりと揺らす。
「君は今、お嬢様よ。お嬢様らしく振舞いなさい」
「私はお嬢様。お嬢様らしく振舞う」
「もう一度、君は今、お嬢様よ――」
そのようなやり取りを繰り返す。
次第に香織の顔つきが変わる。
私の催眠術をかかったわけじゃない。
香織が自分に自己暗示をかけているのだ。
香織も部活とはいえ役者の卵。
役に入るのはお手の物だろう。
そろそろいいだろうと五円玉を下ろす。
「どうかしら、香織さん。気分はいかが?」
「すみません、紗良さん。少しだけ気分が楽になりましたわ」
さすが香織、もう役になり切っている。
ここからは台本は無いアドリブになるが、問題ないだろう。
習うより慣れろだ。
「フフフ、香織さんの催眠術、お上手なのね。私も教えてもらおうかしら」
「あら、誰を催眠術にかけるのかしら。そう言えば前のお茶会で、クラスメイトの野田くんが素敵と――」
「ちょっと待って、紗良ちゃん。それは反則!」
「だめですよ、香織さん。お嬢様たるものこの程度で取り乱しては……」
そんなやり取りをしていると、執事がお盆にサンドイッチを乗せてやってくる。
『いつもの』が来たらしい。
「お嬢様、どうぞ」
執事がテーブルの上に優雅にサンドイッチを置いていく様子に見とれてしまう。
いつ見ても綺麗なものだ。
これを見るためにここにきていると言ってもいい。
この人、私の専属になってくれないかなあ。
「では何かありましたらお呼びください」
そう言って執事は去っていた。
目の前に置かれたサンドイッチを食べようとすると、香織がこちらを見ていることに気が付いた。
「何かありましたか?香織さん」
「不躾でしたね。ごめんなさい、紗良さん。
少し気になったことがありまして……」
「気になったこと?」
さっきのやり取りで何か変なところでもあっただろうか?
「ええ、紗良さん。もしかして、先程の執事の事が――」
「ストーーーーップ」
「ダメですよ。香織さん。取り乱してはほかの方に迷惑になりますから」
どうやらさっきの仕返しのつもりらしい。
この話を深堀されたらヤバい。
話を変えよう。
「フフ、フフフ。あああの、香織さん。話を変えません事?」
「そうですね。では、ここが行きつけの理由を詳しく教えてもらってもよろしくて?」
「ノーコメント」
お嬢様を始めてまだ五分程度しか経っていないというのに、私を手玉に取るほどの余裕があるとは。
香織の中にとんでもないお嬢様のポテンシャルを感じる。
その後も香織から散々いじられ、私はお嬢様として無様な姿をさらすことになった。
それはともかく、今回の執事喫茶の経験が生きたらしく、劇では香織演じるお嬢様は大変評判がよかった。
そして香織はよほど気に入ったのか、その後もよく私を誘って執事喫茶に訪れた。
そのたびに香織は私をからかい、執事喫茶で私が積み上げてきたクールなイメージが崩れ去ることになったのだった。
このドSお嬢様め。
いつか見返してやるからな。
私のお嬢様道はまだ始まったばかりだ。
2/26/2024, 10:09:45 AM