高く高く
私は空を飛ぶことが苦手だ。
この世界の人間達には、それぞれ翼が生えている。黒い翼だったり、小さな翼だったり、ボロボロに見える翼も。
私も白くて羽毛が厚い大きな翼を持っている。
みんなはそれぞれ持つ翼で空を飛ぶ。
でも、それが私にはできない。
翼が悪いわけではない。飛ぼうと思えば私も飛ぶことができる。
そう。私は怖いのだ。
私達人間の飛び方は通常の鳥達とは違い、その場で飛ぶことができない。
まず、高い所から落ちて羽を羽ばたかせて体制を整える。
整えることができたら羽を広げて飛び続ける。
着地は体制を整えてうまく滑空する。
ただそれだけ。でも、一番初めの一歩が進めない。
私は高い場所から飛ぶことが怖くてできないのだ。
「なんで飛ばないのー?」
「面白いのに。」
「変なの」
むかしからそう言われ続けている。
私だって飛びたい。
だって、私は空が大好きだから。
透き通ったような水色とも藍色とも言えるような空に、はっきりと白く見える大きな雲。
昔からそんな大空に手を伸ばしたいと思っていた。
大きく跳びはねて、羽を広げて、空を見たい。
でも、好奇心や悔しさよりも恐怖が勝ってしまう。
根性の問題だなんて言われてしまえば、それまでなのかもしれないけれど。
でも、高校に入ってから、皆は空に執着することをやめてしまっていた。
それと同時に、私も空を飛ぶことを諦めてしまった。
「なぁ、ケーコ。あんたが空飛んでる所見たことあらへん、なんでなん?」
ある日、友人のぴぃが私に聞いてきた。
ぴぃは中学の頃からの友人。オーサカから引っ越してきて、突然隣の私に話しかけてきた事から関係が始まった。
「なぁあんたさ、女の子を翼で抱きしめたら可愛いと思わへん?」
初対面の私に話しかけた第一声がそれだった。
隣の席に座った見知らぬ人間が突然、ただぽつりと、昨日食べた晩御飯を聞かれたような感覚だった。
それなのに目を引いた理由はただ一つ、
彼女には翼がなかったかのだ。
他の人にはあるはずの翼が、彼女の背中には見当たらない。ただそれだけなのに、何処か魅力を感じた。
会話を続けてみるとたまたま好きな音楽が一緒のようで、それから気軽に話すようになっていき、流れるようにそのまま高校も同じところへと一緒に入った。
人と話すのが怖くて屋上に行けば彼女もついてきた。
人の視線が怖くてマスクをつけていたのに、彼女の前では取る事が多くなっていた。
彼女の前で話してないことの方が少ないと思っていた。
もし話さなくても、私の考えを読んで何も言わないでくれるのかなと思っていた。
「あ、もしかして怖かったり?」
それが突然、予想もしなかったことが彼女の口から出てきた。聞かれたくない事を、いつものように何食わぬ顔で聞いてきた。
彼女は考えを読んでいるわけじゃなかったのかもしれない。ただただ、たまたま私と都合があっていただけだったのかもしれない。
そんな嫌悪感と自分の身勝手な思考が恥ずかしくて、それを隠したくて、消したくて、見たくなくて。
「ねぇ、そんなの今関係ある?貴方も空を飛べとか言って人に押し付けるような人間なのね。そもそもお前は翼すらないし。翼が無いくせに私の事どうこう言われるの迷惑なんだけど。お前のそれ何?嫉妬?憧れ?なら勝手にやっててどうぞ。でも私には言わないで自分の中でボソボソ地味にやってろよ。」
口が勝手に動いていた。
私にそう言われると彼女は豆鉄砲をくらったような顔で固まったままじっと私の方を見つめていた。
自分が口にした言葉に気づき思わず口を塞いだ。しかし、言ってしまったときにはもう遅かった。彼女の顔を見れない。
私に嫌悪を抱いたかもしれない。そんな不安から私はずっとうつむいていた。
この沈黙が重苦しい。早くこの場から逃げれるものなら逃げたかった。
しばらくずっとうつむいていると、彼女が口を開いた。
彼女の口から出てきたのは、乾いた笑い声だった。
「ケーコのそんな言葉、初めて聞いたわ。」
彼女は笑っていたが、私は何も言えなかった。
「あ、そういや今日の朝なー、ウチの顔面にカラスが飛んできてー」
ぴぃはいつものように話し始めた。屋上の空を見て話し始め、昨日の事を思い出したと言って話し始める。
不格好に握られてあるおにぎりをぱくぱくと食べながら話していた。まるで先程の会話がなかったかのように。
私はそんな彼女を見ることができずにぱくぱくと無言で弁当を食べ続けた。
甘い卵焼きも、塩気のあるごぼうも、味を感じなかった。
笑いながら話を受け流す彼女が、遠くに行ってしまったような空気が漂って息が重苦しくなる。
まるで翼のない彼女の方が何故か空に届くほど高く飛んで地に沈む自分を見下ろしているような
そこには今まで感じたことのないような
なんとも言えない距離があった。
10/14/2023, 1:40:35 PM