私の名前に特に由来はなくて、画数も適当、というか考えていない。母が私を胎内に宿しているとき、いつからから自然と決まっていた名前だった。
名づけに対するさっぱりとした姿勢も含めて自分の名前を気に入っているし、生きていると意外と名前で褒められることが多い。
「自分の名前の由来を聞いてみよう」の時間ではびっくりした。みんな凄い。気合いが入ってる。
だから私も、とってつけたような由来をアドリブで発表。ストーリー仕立てにしてしまったからか、
何だか大層な名前のように思えてきて急に不安になった。ただ生きているだけで、愛がプレッシャーに誤変換されてしまうような錯覚がした。
名前はその人の示しになるけれど、愛をはかる手段じゃないのかもって、そのとき気づいた気がする。
7/20/2023, 11:52:41 PM