優しくしないで
数年前、行方不明事件に巻き込まれた彼女が保護された。
彼女は、吾妻典子さんは頭や顔、手足に包帯を巻かれていた。
この事件で怪我人は居たが、無事犯人も捕まり、死者も出なかった。
しかし典子さんが帰ってこなかった数年間、私は生きた心地がしていなかった。
彼女を迎えに病院へ行くとボロボロな姿で変わらないクールな表情で
「ただいま、朧さん。」
とだけ告げた。久々に彼女の声を、姿を見た時は目の前で抱きしめてしまいたかったが、優しくしないでと彼女に丁重に断れてしまった。
家へ帰ってきた時も彼女はいつものようにソファへ寝転んで飯を催促していた。
この数年間、食事もまともに食えていなかっただろう。めいいっぱいご馳走したい。
そう思い、長い白髪を結びキッチンへと急いだ。そんな私を見て彼女はまた優しくしないでと細い目で見つめた。
それから私は必死に彼女のために尽くした。
お腹が空いたなら大食いの彼女のために料理を沢山作った。傷が早く治るように丁寧に包帯を交換した。色んな話も……いや、典子さんは話すことがないからあまりそれはなかったが。
やはり彼女は優しくしないでなんて何度も話した。
それでも久々に彼女と共に過ごしたのだ。幸せが戻ってきたのだ。
優しくしないでなんて願い、聞くことはできなかった。
彼女と寝る夜も数年ぶりだった。悪夢を見るのなら、眠れないのならケアをしてあげたい。そう考えながら彼女から目線を外さず布団に入っておやすみなさいと呟き、部屋の電気を消そうとする。
すると彼女は私を睨みつける。無言で、ただ何かを告げるかのように。
彼女の行動を不思議に思うと、しびれを切らした彼女が私の胸ぐらを掴んだかと思えば視界がぐるりと回った。
気がつけば私の視界には包帯だらけ傷だらけの彼女が居た。重力で前髪が降りていた。
私はようやくそこで彼女が私を押し倒したのだと気づいた。
とっさの出来事で困惑して頭が真っ白になって何も考えることができない。
「優しくしないで。」
狼狽えていると彼女が振り絞った声で私に訴えてくる。
「の……典子さん……?何を………」
「痛くしてよ。」
彼女の細めた目が私を刺す。
「二人共ちゃんと生きてるって実感がほしい。」
そう言うと彼女は私の右手首を掴むと自身の胸へと当てさせる。
トク、トク、トクと心臓の鼓動が分かる。いつもより少し早くて、熱い。
そこでようやく私は先程から話していた彼女の言葉の意味が分かった気がした。
「」
彼女の腕を掴む。体重を支えてベッドに手をついている彼女の腕は冷たく痛々しく震えていた。
事件に巻き込まれているとき、帰れなかったとき、
彼女もまた、生きている心地がしなかったのだ。
「はしたなく求めてきてよ。」
そう告げられた。
私はガーゼを貼られている彼女の頬を撫でる。
お望み通り痛く、潰してやろう。
私は彼女を押し倒す。先ほどとは立場が逆になった。前髪をかき上げすかさず私は彼女に酷くそれでも優しく喰らいついた。
二人共生きている。また帰ってきた。そんな実感をお互い欲しがって。
なんとも品のなく、行為だろう。それでも求めたい。
お互い生きていると言う行為をしているとしていても。
「痛くしてほしい、けど、あたし好きよ。朧さんの優しい姿。」
私も好きですよ。不器用な貴方も、脳を溶かして必要以上に求める行為も。
5/3/2024, 2:41:36 AM