君に会いたくて
ボウルの中でバターを混ぜる。やわらかくなっていく感触だけに意識を向けていた。
お菓子を作っていると胸が落ち着く。
手順はもう身体が覚えているし、余計なことを考えずに済むから。
することもなくなり、オーブンをぼんやりと眺めていると、程なくして焼き上がりを知らせる音がした。
扉を開けると、甘い匂いが一気に広がる。
綺麗に色付いたクッキーを取り出して粗熱をとり、作っておいたクリームを挟んだ。
出来上がったそれを崩れないようにそっと箱に詰める。
変わらないな、と頭のどこかで思う。
それ以上考えないようにして、箱を閉じた。
バターサンドクッキー。
それは彼の好物だった。
会いたい、という気持ちをそのまま差し出す勇気がない。だから甘い匂いに包んで、理由を作る。
恋人なのに、と自分でも思う。彼が自分を拒むことなんてない。そんなことは、ちゃんとわかっている。
それでも、手は自然と逃げ道を用意してしまう。
何も持たずに行くより、何かを差し出す方が安心できるから。
染みついてしまった逃げ癖は簡単には治りそうにない。
玄関で靴を履きながら、紙袋を持った手を見下ろす。
紙袋の持ち手から、指に伝わる感触がはっきりしていた。
落とさないようにしているのか、早く手放したいのか、自分でもわからない。
これがなかったら、自分はどんな顔で彼の前に立つのだろう。
彼の家は然程遠くない。
少し考えごとをしていれば、すぐに着いてしまう。
歩き慣れた道を進んでいると、いつの間にか扉の前まで来ていた。
これまで何度も来ているはずなのに、来るたびに少しだけ落ち着かない。
そのまま扉の前で立ち尽くしてしまう。
ここまで来て今さら何を迷っているのか。
気持ちを振り払うように伸ばした指はインターホンに届く前に、一瞬、動きを止める。それでも構うことなく、そのままボタンを押した。
チャイムが鳴ってすぐ扉が開く。
「今日はいつもより早かったな」
「…そうですか?」
これで彼を誤魔化せるとは思っていない。
それでも彼は、すぐには何も言わなかった。扉に手をかけたまま、少しだけ目を細めてこちらを見る。
見透かすようでも、責めるようでもない視線だった。
きっと彼は、いつも扉の前で立ち止まってしまうことを知っている。
インターホンを押す前のほんの一瞬、時間を無駄にしていることも。
それを指摘しないまま、今日もこうして迎え入れてくれる。
そんな彼の優しさに今日も甘えてしまう。
促されるまま玄関に足を踏み入れると、後ろで扉が閉まる音がした。外の空気が遮られ、いつもと変わらない匂いが鼻に届く。それを確かめるように小さく息を吸った。
紙袋を持ち直して、クッキーを差し出す。
彼は呆れたような顔をしながらも口元を緩ませる。叱るでも、喜ぶでもない。ただ愛おしむみたいな表情が、何だか恥ずかしかった。
お菓子作りそのものは嫌いじゃない。
むしろ好きだと思う。
誰かに食べてもらえるのも嬉しい。
ただ、このクッキーだけは少し違う。
彼に渡すために作ったそれは、贈り物であると同時に、自分を守るためのものでもあった。
彼はこのクッキーが保身であると、きっとわかっている。
それでも何も言わず、拒まず、受け取ってくれる。
ありがたいと思う。
こんな自分を、そのまま受け入れてくれることが。
そんな彼にずっと甘えている。
いつまで、こんな風に理由を手にしてここへ来るんだろう。
その問いに答えを出さないまま、今日まで来てしまった。
もし明日、何も持たずに訪れたら彼は驚くだろうか。
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1/21 04:52 加筆修正しました。
1/20/2026, 8:58:45 AM