与太ガラス

Open App

 子どもの頃から動物園が好きだった。図鑑で見た動物を探し、自分の目で見て、その動物の絵を描く。中学生になったら、デフォルメしてキャラクターみたく描けるようになった。

 同級生に頼まれれば、そいつの顔と好みの動物をマッチさせた似顔絵を描くこともできた。それぞれの習性も頭に入っていたから、特徴をオリジナルの技名でカッコよく演出できたりもした。

 三十歳も間近に迫った今も、僕はキリンの檻の前にいた。この園で一番大きいマサルの首から上を何度も目でなぞっていた。

 マサル、お前の目から見える景色は、どんなだ?

 高校2年の時、動物たちの絵をキャラクターにして、少年漫画の新人賞に応募したら、佳作を取った。作品は月刊の増刊号に掲載されて、担当編集を付けると言われた。

 高校を卒業したら大学に行かずに漫画を描いた。担当は「君ならやれる」「たくさん描けばもっと上手くなる」と僕を励ました。でも佳作以降、一度も雑誌に掲載されることはなかった。

 ぼーっとしながら歩いていたら、エミューの檻の前に来ていた。翼を持ちながら、飛べない鳥。

 翼があるって言われながら、ずっと飛べないなら、初めから翼なんか持ってなければ良かったのかもな。

 あーあ、そろそろ諦めるかー。

「とりなのにおそら、とべないの?」

 向こうで見ていた親子連れの声が聞こえる。見ると子どもは手に風船を握っていた。

 そうだよ。いくら絵が上手くても。

「エミューさん、かわいそうなの?」

 そうだよ。かわいそうな漫画家だよ。

「とべなかったら、ふうせんをくっつけたら、とべゆんじゃない?」

 風船ひとつ付けたぐらいで、飛べるわけ…

「ひとつじゃだめだったら、いっぱいくっつけたら、いいよ。いっぱいくっつけたら、ふわーってなるんだよ」

 …子どもは無邪気だな。いっぱい風船くっつけて。ひとりじゃダメでも、誰かとなら、か。


 担当編集に呼ばれ、打ち合わせのため出版社まで出向いた。さすがに自分でも覚悟はできていた。でもどうせなら最後まで足掻いてやろう。

 小さな会議室に通され、少ししたら担当が入ってきた。担当はすでに申し訳なさそうな、引きつった笑いを浮かべている。心臓が高鳴りはじめる。ここまで来て逃げてはダメだ。

「わざわざ来てもらってすまないね。ありがとう。話っていうのは…」

 先に言われたらここで終わってしまう。先手を取らないと。

「その前に、僕からひとつだけお願いがあります」

 担当の曇っていた表情が驚きに変わる。

「…わかった。どうぞ」

 いざ口を開けると、それは自分の口から、漫画家であることを辞める宣言なのだと気づいた。

「原作者を付けてほしいんです」

 口にしてみると、不思議と悔しさはなかった。

「そ、それは、君の希望、と、捉えていいんだね?」

 担当の声は戸惑いと少しの興奮を帯びていた。

「え、あ、はい。その、自分でストーリーを書くのは、限界かなと、思っていて、でもやっぱり絵は捨てたくない、と、いうか…」

「実は今日、私から伝えたかったのはそのことなんだ」

 担当は早口でしゃべりはじめた。

「君の作画で漫画を描きたいっていう原作者がいてね。向こうの編集から企画を見せてもらったら、間違いなく君の絵がピッタリだったんだ!」

 僕は驚きで声を出すことができず、エサを求める鯉のように口をパクパクさせた。

「作画を、やってくれるかい?」

 僕は飛んできた風船をジャンプして握りしめた。

「はい、よろこんで」

11/12/2024, 12:29:52 AM