汀月透子

Open App

〈予感〉

 昼前から、なんとなく体がだるかった。授業中もぼんやりして、黒板の字がかすんで見えた。
 保健室で熱を測ると37℃を超えていて、先生に連絡してもらい、早退することになった。

 秋の風が冷たくて、学校からの道をふらふらと歩く。10分ぐらいの距離だけど、家の前に着くころにはもう足が重くて、玄関のドアを開けるのも一苦労だった。

「ただいま……」

 声を出すと、奥の台所から仕事を早退した母さんの声が返ってきた。
「おかえり。やっぱり帰ってきたか」

 “やっぱり”って何だ。驚く間もなく、母さんはスポーツドリンクを差し出した。
「これ飲んで、すぐ寝なさい。おでこ触ってみ? 熱あるでしょ」

 言われるままに手を当てると、確かに熱い。母さんはもう薬を準備していて、リビングのテーブルの上にはスポーツドリンクのペットボトルが三本。箱入りの解熱剤。のど飴。ゼリー飲料。まるで病人を迎える準備が整っているかのようだった。

「なんでわかったの?」
 そう聞くと、母さんはふふっと笑った。
「朝、あんたお味噌汁ちょっとしか飲まなかったでしょ。どんよりした顔してたし。
 ああ、これは熱出すなって思ったの」
「そんなことでわかるの?」
「わかるの。そういう予感がするのよ」

 母さんはそう言って、僕の頭を撫でた。指先が少し冷たくて気持ちいい。

 布団に横になると、遠くで夕飯を作る音がした。鍋のふたがコトコト鳴って、やがてだしの匂いが部屋に流れてくる。
 目を閉じながらその音を聞いていると、ふと昔のことを思い出した。

 小さい頃、夜中にお腹が痛くなったときも、母さんはもう起きて待っていた。
「なんか嫌な予感したのよ」
 そう言って、薬を手にしていた。熱を出したときも、転んでひざをすりむいたときも、母さんはいつも“予感がした”と笑っていた。

 そのたびに不思議で、少し怖くも思っていた。でも今はわかる。
 あれは予感なんかじゃなくて、母さんがずっと僕を見ていた証拠なんだ。朝の食べ方、声のトーン、歩く速さ──全部覚えていて、そこから感じ取っていたんだ。

 うどんを持ってきた母さんが、枕元で小さく声をかけてくる。
「うどんだけど食べられそう?
 中間テストも近いのに、無理しちゃだめよ」
「うん……」
「でも、ちゃんと早く帰ってきたのはえらい。
 明日熱が下がらなかったら病院行こうね」

 そう言って笑う母さんの顔を見て、胸の奥がじんと熱くなった。

 予感って、特別な力のことじゃない。
 誰かを想って、ちゃんと見ていること。
 その想いが積み重なると、きっと、未来の小さな変化が見えるんだ。

 ぼんやりそんなことを考えながら、湯気の向こうで揺れる母さんの姿を見つめた。

──────
少し表現を変えました。
柔らかく煮たおうどん食べたいです(寒い

10/21/2025, 11:44:20 PM