エムジリ

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 柳の木が生い茂る、一見して幽霊屋敷のような佇まいをした木造の料理屋が、昨年からの私の気に入りだった。
「お待ちしておりました」
 禿げ上がった頭のてっぺんをこちらに向けて、店の主人がうやうやしく出迎える。建物と同様に彼もそうとう年季が入っているが、その外見はみすぼらしさや汚ならしさとは対極にあった。
「で、どうだい?」
 奥座敷に通されたと同時に注がれた日本酒を舐めながら私は訊ねる。
「今の時季はフグでございます、産卵期前ですから、味も濃く歯応えがあります。あとで刺身にして持って来させましょう」
 客を前にしているとも思えぬほどくだけた態度だが、これは二人の仲を示すものであった。
「それと」と主人はもったいぶるようにして付け加える。
「御用命の火薬類、弾薬十万発と火砲五十門、全ての仕度が整っております」
 たるんだ瞼に隠された細い目に鋭利な光が宿っていた。微かな喜色さえ浮かんでいる。彼の本業がこちらなのは明らかだった。まったく憂うべきことに、近ごろ我が国の内乱は熾烈さを極めている。
「ふ、ふ。毎度ながら貴殿の仕事の早さと扮装には驚かされる。見事を通り越して恐ろしいよ」
 私は癖で、将兵の軍功を称賛するような口調になった。
「中佐殿からの御言葉、身に余る光栄でございます」
「食えない男だ」
「なにせこの世は裏と表を使いこなさなければ到底生きて行けませぬから」
 さてお食事にいたしますか、そう言う主人の顔は、すでに品の良い庶民風のものに変わっていた。


▼裏返し

8/23/2023, 8:06:57 AM