hikari

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七色

私が男に捨てられてひとり虚しく途方に暮れていたとき
ひとりの女性からこんな話を聞いた。

彼女は熱心なキリシタンで、
若い頃渡米しアメリカ人の男と結婚して蒸発され、
やむ終えず帰国したらしい。

旦那が帰ってこなくなったタイミングと、あるテロ事件が重なりそこで亡くなったのではないかと言っていた。真相は闇の中である。

彼女はアメリカの教会でキリスト教徒として活動していた。告解で話を聞き、また、身寄りのない子供達へ慈善活動も行っていたという。

明日、食べるものが得られるかわからない、
明日、生きていられるかもわからない、
そんな子供たちと、クレヨンで絵を描いた。
教会に置かれたクレヨンは、幾つも鮮やかな種類があった。
ひとりの子供が1本のクレヨンを手に取って、彼女に言った。

「ぼくはね、この1本のあざやかな緑のクレヨンがあるだけで、ぼくはしあわせ。このクレヨンで描かれた絵を見て、ぼくは明日も生きていける」

たった一本のクレヨン。

彼女は電話越しに、あなたにとってのクレヨンは、あなたの周りにいくつある?と、私に問うた。

私は答えなかった。少し説教じみているように感じてしまうほどに、私は幼かった。世の中でよく言われる、「小さなしあわせに気づけ」というような使い古された表現の一文のように感じたからだ。私は、その緑のクレヨンを握る少年よりも、はるかにこころが幼かった。

ただ、最近、その話をじっくり噛み砕きながら取り込んでいる。

欲が出て、比較して、くらい夜道にむしゃくしゃして走っている時、なんとなくこのまま消えて無くなってしまうのではないかと思う。死がこちらに迫ってくるような、飲み込まれたら二度と戻って来れないのに、早くすべてから解放されたくてたまらない魅惑がある。
誰も止めることなく、真っ暗な真っ暗な暗闇の中でひとりプライドと天邪鬼な性格だけが背中を後押ししてそのまま進んでしまう。それが寂しくて怖くてたまらない。その世界には、明るさも暖かさも幸せもなにもない。
そこには真っ黒くて、冷たい、先の見えない不安しかない。

ふと、横を見ると、木の麓に「積雪注意」と、板に黒い筆で書かれた看板が、雪に埋もれて落ちている。咄嗟に足腰に力が入って、足元凍った雪の塊に足を滑らせる。「こわい」という感情に支配されて、そこから逃げ出したくなる。なんだ、私は、情けない。

そういうとき、私は、思い出して想像する。
鮮やかな緑のクレヨン。
そうすると、私は今、
冷たくて心地よい風が頬を伝っていて、
空気が澄んでとても綺麗で、
足の筋肉の疲労感やその心地よさに視点がいく。
暗闇の中で、オレンジ色の街灯や、
深夜のドンキホーテ、
見慣れたコンビニエンスストア、
タクシーの車に気がつく。

私は、夜道で走り出せるほどに、自由だったのか。

私のクレヨンは、数々の色を纏いながらいくつも世の中に存在していることに、気がつく。

緑のクレヨンの少年が、問う。
いま、見えている色は何色か。

3/26/2025, 5:08:36 PM