【命が燃え尽きるまで】
2007/12/01
子供が生まれた。
ああ、我が子ってこんなに可愛いんだな。
産声が聞こえてきたとき、どんなに嬉しかったことか。
遥が無事に元気な赤ちゃんを産んでくれた安堵、
大切な存在がもう一人できた事への喜び。
本当にパパになれるのだろうかという不安。
旦那の役目さえ全うできていない僕が、
パパの役目など果たせるのか。
でも、
「最初からパパになれる人なんていない」
そう君が言ってくれたから。
この命が燃え尽きるまで、妻を、この子を愛したい。
愛してみせる。
あっ、
名前は2人で話し合って、
「海愛(みあ)」にしようと思っている。
僕達には海での思い出がたくさんあるから、
いつか3人で海に行きたいな、なんて考えたり。
とにかく、愛のある子に育ってくれること、
それが何よりの願いだよ。
――――――――――――――――――――
私は高校2年生になったらしい。
「らしい」というのは、私は去年の12月から不登校なので実感が無いということだ。
ただ、最近は少しずつ学校に行き始めていて(というか行かなければ留年してしまう)、
教室に入ることは無いものの保健室登校や別室登校、特別な補講を受けている。
そうしないと、私は留年するらしいのだ。
面倒といえば面倒だが、私をサポートしてくれる先生達に感謝だ。
最近はよく外にも出るようになった。
といっても、楽器店に行くだけなんだけど。
電車で片道30分以上かけて行くのは億劫で、
「近くに楽器店があればなあ…」
なんて考えてしまう。
1年前まではあったのだけど、
色々あって閉店してしまったから…
友達―かのんちゃんしかいないけど―とも会うようになった。
保健室までわざわざ会いに来てくれたり、
この前は一緒に映画館に誘ってくれた。
とても嬉しかった。
だって、今までこんなに話せる友達なんていなかったから。
月並みだが調子を戻している私には、もう一つ熱中していることがある。
オトウサンについて、だ。
オトウサンは、私が3歳のときに病気で亡くなった。
かろうじてある夏の日の記憶は残っているのだが、
もう顔も覚えていないし、声も上手く思い出せない。
手の温もりもリアルに思い出せない。
私がオトウサンについて知っていることは2つ。
1つはミュージシャンだったこと、
もう1つは、お母さんと結婚する数年前から晩年まで、日記をつけていたことだ。
日記は5冊くらいあって、結婚のお話からミュージシャンとしての話、病気の話まで色々と書かれてあった。
特に病気の話は詳しくて、どこの病院に入院していたか、どんな病気だったか事細かに記されていた。
時々、幼い頃の私が日記に登場することもあった。
それを成長した私が読んでいるのだが、
文面でオトウサンに可愛がられていて照れ臭い。
しかし、こうしてオトウサンの事を知る度にある疑問が浮かぶのだ。
なぜ、お母さんはオトウサンの事を全く教えてくれないのだろう?
二人は夫婦だ、お互い険悪な仲であったはずが無いだろう。
思えば、我が家には1枚もオトウサンの写真
が無い。
よくドラマで、亡くなった家族の写真を机とかに立ててあるシーンがあると思うけど、我が家では一切無い。
だから私はオトウサンの顔が分からない。
なぜなのだろう、
お母さんはどことなくオトウサンの話題をタブー視しているように思う。
私がオトウサンの話を聞いたのも、全ておばあちゃんからだ。
お母さんが話してくれたことは一切無い。
そんなに、オトウサンの話をするのが嫌なのか?
何で?
私には抑えられない好奇心があった。
オトウサンの事を知る手がかりは、おばあちゃんから話を聞くことだ。
私は近々、おばあちゃんの家に行ってみようと思う。
――――――――――――――――――――
2010/12/01
僕はもう、駄目かもしれない。
日に日に弱っていくのが分かる。
肩や腰は耐えられないほど痛く、
夜は息苦しくて眠ることが出来ない。
もう末期らしい。
僕はもう、手の施しようが無いらしい。
ああ、
命が燃え尽きるまで、大切な人を愛することができなかった。
遥も、海愛も、両親も、僕は何1つしてやれなかった。
海愛との思い出など、何1つ作ってやれなかった。
みんなで、海行きたかったなあ。
何もしてやれなくて、本当にごめん。
9/14/2024, 12:01:40 PM