秋茜

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おもてなし


――某日、東京秋葉原。

 俺――高崎隼人(たかさきはやと)は今、20年の人生で一番胸を高鳴らせている。といっても過言ではない。

 そう。今日、俺は人生で初めて『猫カフェ』という非日常の世界に足を踏み入れようと、この地にやって来た。

 猫と戯れる為だけの至福の一日――。
 うっかり知り合いにでも出くわして台無しにされたくなかった俺は、わざわざ二時間もかけてここ秋葉原にまでやって来たのだった。

 しかし、正直勢い任せで来たせいで、どこが良いとかは全くさっぱりだった。
てか、秋葉原自体が初めてで土地勘も何もない。
 仕方なく、俺は雰囲気が良さそうな所をテキトーに選んで……深呼吸を一つしてからドアを開けた。

「お帰りなさいませ! 旦那……さ、ま……」

――そこには、衝撃の光景が広がっていた。

 確かに猫はいた。にゃあにゃあと可愛らし声を上げ、猫同士なにか話しながら自由に店のあちこちでくつろいでいる。今すぐ一匹持って帰りたい愛くるしさだ。

 が、店員も何故か着物服に猫耳を着けた、半分平成の萌えスタイルで決めポーズをしていて。
 こっちの二足歩行の猫は、別方向の可愛さであざとく客にアピールして来るのだった。

しかし、何よりも衝撃的だったのは……。

「……お前、こんなとこで何を……」
「ああああんたこそ、何でこんなとこに……っっっ!!?」

 そう、そこに居たのは――同じ大学の一つ下の後輩であり、俺がよく知る幼なじみの「春咲花音(はるざきかのん)」だった。

―――――――――――――――――――

 花音が働く『猫猫(ねこねこ)カフェ』は、いかがわしいコンセプトとは真反対の落ち着いた……どこか大正浪漫を思わせる雰囲気の内装の店だった。

 そう見ると、確かに花音の着ているお店の制服も、露出を押さえた和風の花模様をあしらった上品なものだった。
 猫耳のアクセだけは、ちょっと目立つけど。

「……ご注文は何に致しますか? だっ、旦那様」

 花音はお店の仕組みや料金の説明を終えると、左手で机の上を滑らすようにメニュー表を差し出してきた。
……その間、お冷やを運んできた「お盆」を右手に持って顔を完全に隠したまま。

「とりあえずドリンクバーと、猫アイスを一つ……」

「畏まりました、だ……旦那様」

「無理しなくていいぞ、今は店ん中誰もいないんだから」

「いえ、私めはプロでございますから。 お気遣いは無用でございますわだっだだだ旦那様」

「そ、そうか……お前がいいならまあ……いいけど」

――顔をお盆で隠して噛みまくりながら接客するプロがどこにいるか、などとツッコミたかったが。流石に俺にも人の心はある。
 そこはあえてスルーして、手早く注文を済ませた。

 花音は、顔をお盆で隠したまま、ふらふらとした足取りのまま店の奥へと消えて行った。

……しかし、何と言うことか。
 知り合いどころか、隣の家に住む幼稚園からの幼なじみとこんな遠方の辺境の地で出くわすなんて……しかも、猫カフェの皮を被ったコンカフェの店員と客という立場で。

「何か、とんでもないことになっちまったな……」
 しばらく店内を眺めながら待っていると、一匹向こうから近寄って来る猫が居た。
 所謂、長毛種といわれる猫で。確かラグドールって種類だったかな。

 その猫は、ジュリエットも裸足で逃げ出す悲劇に今しがた見舞われたばかりの俺を慰めるように、足に頭をこすりつけてにゃーと短く鳴いた。

「おお……何と愛らしい……生き物よ」

 あまりの可愛さに口調がおかしくなってしまった。
 どうしたらよいか分からず、とりあえず頭を撫でる。
 一応「猫の安全を考えて『抱っこ』は禁止されている」と先ほど「妖怪お盆メイド」に説明されたばかりだったので、あらんかぎりのテクニックを駆使して猫の満足するポイントを片手で撫で繰りまわす。
 猫も満足気ににゃーと鳴きながら、さらにすりすりと身体をこすりつけてくる。

――生まれてきて良かった。俺は今日この日の為に、生きてきたに違いない。

「……お待たせ致しました旦那様。 ご注文の品『猫アイス』を持って参りました。 ドリンクバーはあちらの奥の席の方にございます。 どうぞ、ゆっくりとおくつろぎくださいませ」

 感慨に耽っていると、いつの間にか妖怪お盆メイド……じゃなくて、花音が横から注文した猫のおやつの『猫アイス』を差し出してきた。

 覚悟を決めたのか、もうお盆は下ろしていて。顔を隠すのは止めたようだ。

机に置かれたアイスを見て、先ほどから俺の足に頭をぐりぐりし続けていたラグドールがぴょいと机の上に乗ってきた。
俺はうっかりひっくり返したりしないよう、アイスの入ったグラスを左手で支えて上げる。

――長い沈黙。

 花音は横で何やら言いたげに、しかしだんまりのままただ立っている。

 俺は、すっかり懐いてくれたラグドールにアイスを舐めさせながら、とりあえず口を開く。

「花音は、猫が好きなのか?」

 こういう時は、まずは無難な手札から切るのが定石だろう。
 俺は至極当たり障りのない質問を投げて、返答を待った。

「はい、旦那様。 ……実は、花音は、猫のことになると、恥ずかしながら目がないのであります……うふふ」

わざとらしく頬に手を当て身体をくねらせ、芝居がかった口調で照れたフリをする花音。

 こわい。こんなの、俺の知ってる花音じゃない。
 俺の知ってる花音は……もっとこう負けん気が強くて男勝りな、小学生の頃に倍近い体格の上級生の顔面を正拳一発でKOした。そんな女の子だったはずだ。
……いや、今の方がマシか?

 そんな失礼極まりないことを考えていると、はたと花音と目があってしまった。

 そこで、気が付いた。
――いかん、目が据わってる。
 親の顔より見た幼なじみの思考は手に取るように分かる。
 あの目は間違いなくこう言っている。『店から出たら覚悟しときなさいよ』
と。
 自分の恥ずかしい秘密を知ってしまった幼馴染みを容赦なくこの世から消し去るつもりに違いない。

 良かった。あれはやはり俺のよく知る花音だ。いや、ちっとも良くない。
 接客スマイルで誤魔化してはいるが、視線から静かな殺気を感じる。

 こ、ころされる……。

 机の上でぺろぺろとご機嫌におやつのアイスを舐めるラグドールだけではなく、目の前で静かに殺気を放つ幼馴染みのご機嫌も取って店を出なければ、俺に明日はない。そんな予感がする。

 しかし、どうすればいい?
どうすれば、花音は機嫌を治してくれる?

 いや、ていうか、そもそも俺は偶然この店に入ってしまっただけで、むしろ悪いと言うなら花音の方じゃないか?
 などと言えば今すぐ猫の餌にされかねない。
そこで、瞬間。俺はあることを思い出した。

「お前、確か明日誕生日……だったよな?」
「……へっ?」

 予想外だったのか、花音が間の抜けた声を上げる。
 よし、手応えあり。
俺は左手でラグドールを撫でながら、言葉を続ける。

「明日は休日だろ? だから二人でどっか出掛けてさ、何か美味いものでも食いに行こうぜ! 勿論全部俺が奢る! お前の誕生日だからな!! はっはっは!」

……どうだ?効いたか?
  いや、今のは流石に効いただろう。
どんな人間でも、美味いメシには勝てない。
 例え、どんな拷問にも耐える訓練を積んだ特殊部隊の隊長でも、目の前に松阪牛のステーキを出されれば全て喋って楽になる道を選ぶはずだ。

 しかし、現実は――全く予想外の反応だった。

「そ、そ、それって……二人きりでって……でぇと?」

……ん?
 おかしいな。俺は耳は悪くないはずだ。
店内も、BGMのクラシックと猫の声しか聞こえない。いたって静かな空間だ。

 今、こいつ……「でぇと」とか言わなかったか?

 見ると、顔を赤らめてなにやらもじもじとお盆で口元を隠しながら、顔を背けている。
 その仕草は、どうも演技には見えない。

「隼人……いえ、旦那様がそのように私めのことを見ていただなんて……恐れ多くございます」

 雲行きが怪しい。
何か、意図せぬ方向に話がずれて行ってしまっているような……。

「えーっと……花音さん?」

「でぇと……ふふ……。 てか隼人、誕生日覚えててくれてたんだ……ふふ……はっ! ごほんげふん! ……はい? 何でございましょう旦那様?」

 何か独り言をぶつぶつと呟いてから、わざとらしい空咳をして、また役に入る花音。
 さっきよりも頬は赤く、役作りも相まってか、いじらしい仕草が妙に板についている。というか……。

――あれ?……こいつ、結構可愛い?

 幼稚園の頃からずっと隣の家に住んでいて。
 小学校も、中学も高校も大学も一緒で。
そのせいか、ずっと男友達のような感覚の距離感で今日のさっきまでいて。
 こいつのこと……女として見たことなんて一度もなかった……はず。
 だった、けど――。

「……旦那様」

 花音の声が、耳をくすぐる。

 聞き慣れたはずの幼馴染みの声が、今は妙に色香を感じる声に聞こえて……俺は思わずじっと見つめてしまう。
花音から、なぜか目が離せない。

「私めは……実はずっと前から……」

 彼女の髪の香りが。吐息がかった声色が。一つ一つの仕草が、俺に意識させる。
 いや、そうか。そうだったのかもしれない。
 何でもっと早く気が付かなかったんだろう。

 しばし、二人の時間が止まる。

 撫でるのを止めた俺の左手を、とっくにアイスを食べ終えたラグドールがかじりつき、遊び始めていた。

俺も、花音のことをずっと――。

「花音。 今、ようやく気が付いたんだ。 俺も――お前のことが……」

 大正浪漫の雰囲気が満ちた店内と、「旦那様と給仕係」というこの店の、今この場所限りの二人に与えられた役柄が、いつからか奥底に隠されていた二人の心の内の想いを顕にした。

相変わらず、他の客が来る様子もなく。
店内には、静かなクラシックと猫の声だけがゆっくりとした時の流れに会わせて流れていた。

10/28/2025, 4:46:47 PM