『懐かしく思うこと』
人間に帰巣本能はあるのだろうか。
学術的なことは分からないが、俺はあると思う。実際、この前も専門学生時代に住んでいたアパートにふらりと立ち寄ってしまった。
電車を3つ乗り継ぎ、片道1000円近くかけて昔の住処に帰る。
専門学生時代に住んでいたアパートは健在だった。外観を眺め、溜息を漏らす。
あの頃のまんまだ。アパートの前に設置されている自販機も、ゴミだらけのゴミステーションも、当時と同じだった。
ふと思う。
俺が住んでいた304号室には、今はどんな人が住んでいるのだろうか。
304号室に住んでいた頃、夜の10時にPSPというゲーム機でモンハンの通信を繋げると、見知らぬ隣室の部屋の人たちが無線通信で繋がり、一緒に皆で遊んだものである。
俺と一緒にモンスターと戦っていた顔も知らない戦友たちは、まだこのアパートに住んでいるのだろうか。元気なのだろうか。
みわっち、ニール、あけぴよ(一緒に遊んでいた人たちのモンハンのハンドルネーム)……元気でな。
心の中で呟き、そっとアパートを後にする。
アパートを後にした俺は、そこから200メートルほど先にある24時間営業のスーパーに向かった。
専門学生だった頃、そのスーパーには週5の勢いで通っていた。
なにしろこのスーパーは全ての品物の値段が安い。当時、買っていたものはコーヒーや菓子パンだったと思う。
あの頃は俺も若かった。コーヒーのカフェインでテンションをぶち上げて、菓子パンの糖分で血糖値をスパイクさせればどうにかなると思っていたのだから。アホ丸出しだ。今の俺なら栄養を考えて小松菜と袋入り麺を買う。
ただし今日は何も買わない。完全なる冷やかし目的の物見遊山である。
店に入り、レジの方向を見た俺は感動した。
(あ、あの人は……)
レジに立つ痩身で眼鏡をかけてて長身の坊主頭な男性。見間違うはずもない、あの頃のまんまだ。俺が専門学生時代にこのスーパーに通っていた頃も、ここで働いていた人だ。
(いまもここで働いているのか)
なんだか嬉しくなった俺は、何も買わない予定だったのに缶コーヒーを手に取ると、ウキウキ気分でレジに並んだ。
俺が、痩せた坊主頭の背の高い眼鏡の店員さん、と彼のことを意識していたように、彼も、いつも店に来る俺のことを、いつも黒い服きてる声の小さい変なヤツと思っていたはずである。
感動の再会ってやつだ。
俺は缶コーヒーを台の上にのせると、お金を払うでもなく、店員さんの顔を見て『うへへ、お久しぶりです』と意味深に微笑んでみせた。
「あっ……」
店員さんが俺を見て、何かに気がついたように声をだす。
(気づいてくれたか。そうです、俺です)
「お支払いはペイペイですか?」
「……ぬぁっ! あっ、は、はい、じゃあ、ペイペイで……」
ズッコケそうになるのをこらえ、スマホで支払いを済ます。結局、覚えてるのは俺だけだったようだ。店外に出て、購入したコーヒーを啜りながら思う。そんなもんだよな、と。
その後、たまに通っていた近くのスーパー銭湯に立ち寄り、サウナで整って休憩し、やることもないので今住んでいるアパートに帰った。
今のところ、ここを終の棲家と見定めて生活を送っている俺だが、いつかここから出ていき、違う場所で生活するのだろうか。
その時は、ここに帰ってきたくなるのだろうか。
先のことは分からない。ただ、一つだけ分かったのは、皆を覚えているのは俺だけで、皆は俺のことなど何一つ覚えてくれていないということだけだ。
だが俺はそれでも思い出を胸に強く生きていく! 誰の記憶に残らなくてもいいのだ! だけども、俺と関わった人が、たまーに、そういや変なテンションのやついたな、と思い出してくれればそれでいい。誰かの懐かしみの一端を担えればそれでじゅうぶんだ。
10/30/2024, 10:54:49 AM