夜の海、大切な人に会いに行く話
幼い頃から海が嫌いだった。光を反射して目を焼く青、冷たいような色をしてぬるい青、全てを包み込もうとするくせに何もかもを飲み込んでしまう青。その青が酷く美しくておぞましかった。
「来年の夏は海に行かないか?見せたいものがあるんだ。」
あなたをさらおうとするその青が、この世で1番嫌いだった。
夜の海は昼とは正反対だ。あれほど騒がしくて熱気に満ちていたのに、今はしんと静まり返って少し肌寒い。輝くような青も墨を垂らしたように濁って醜い。みんなを散々惑わせた癖に本性はこんななんだ。と、意思もない海に八つ当たりしてしまう。それだけ海が嫌いなんだ、許して欲しい。
こんなに嫌いな海に来たのは、親友と会う約束があったからだ。ソレがなければこんな所に来てはいない。
彼は私の唯一の親友で、私が唯一の友達だった。常に不機嫌そうな面で見るからに陰気そうな目。口をひらけば文句と理屈が出てくる、そんな人。しっかり付き合えば不器用で素直なだけで、優しく真面目な可愛い人だと分かるが、青春を生き急いでいた彼らは気がつく前に去っていった。私が親友といえる関係になったのも、たまたま相席した喫茶店で議論という名の口喧嘩をし意気投合したからであり、マウントを取れるような話では無いけれど。
彼は海が好きだった。その病的なまでに青白い肌と陰気な様子には似合わないが、常に海をモチーフにした何かを身につけている程には魅入られていた。
その海は、病室にもあった。
なんでも講義中に突然倒れたらしい。元から日陰で暮らしてきたような貧弱で体力のないやつではあったけれど、まさか倒れるほどだなんて思いもしなかった。
少し入院はするらしいが、まぁ揶揄してやるかぐらいの気分でお見舞いに行った。
青い花、青い鳥のキーホルダー、海の名前がついた本、他にも色んな海と青があった。中には見覚えのあるものや私があげたものもあった。そんな海にかこまれて、あいつはいつもどおり不機嫌そうな面をしていた。
「どうにも海に行きたくてしょうがないから、海を飾ることにした。」
「すごい、プリキュアにどハマりしたけどプリキュアにはなれない幼稚園児みたいな思考回路と部屋してる。」
と返したら近くにあったプラスチックのコップを投げられた。10センチも飛ばずに地面に落ちた。
「来年は海に行かないか?見せたいものがあるんだ。」
「泳げるようにプールに行っといてくれ。」
「別に海は怖くないんだろう?ならちょうどいい。」
「次こそ海に行ってみせるから、待っててくれ。」
彼は海に行くことなくその病室の偽りの海で生涯を終えた。
必死こいて習得したクロールも、海に行くついでに立てた旅行の予定も、何も見ずに死んで行った。
骨はあいつの家族の希望で海に撒くことになった。親しい友人として話していたようで、私も参加させて貰えた。
あいつは背が高い方で、ヒョロヒョロしていたけど場所をとって、邪魔だったのに最後には小さな壺ひとつになって、分けられて手のひらの上の粉になった。
そうして彼は海になった。
私にとって、彼は自覚している以上に重い存在だったようで、食事は味がしないし講義は頭に入らない。
彼が居ない世界はどうにも居心地が悪くてつまらない。
なので後追いすることにした。
彼はおそらくブチギレるだろうがその時はその時は共に逝くリュックに詰め込んだコーヒーで許してもらおう。
波を踏み潰して膝まで沈む。波は冷たく、死の気配がした。
波をかき分けて胸元まで沈む。磯の香りが鼻にこびりつく。あとどれくらいで私が死んで沈むのか考えた時、突然私より何メートルも高い波が視界を覆った。
濁流が流れ込む。冷たい水が体を押す。
8/15/2024, 12:33:05 PM