雨の香り、涙の跡。
誰かが零した涙も乾き始めるくらいの雨を嗅いでいない。一体いつからだろう。香りの少ない雨になったのは。気付くのが遅れてしまった。
コロナ禍のような、異常が正常になりゆくときに、「100分De名著」を拝読した。
「あなた方にはまだ、これが普段の生活だと思えないかもしれませんが、しばらくすればそうなります。これが日常になるのです」
1985年に書かれた本の内容。
過激で極端な設定でリアリティがないと当時は批判された――というのに。時を経て現実になりつつある、ディストピアへ。
涙の跡は、水たまりの向こう側に溶け、今や、水滴の跡のように汚く見えてしまう。
雨の降る日こそ、考えなければならない。
雨の日に救われたという。神秘体験者の解釈を鵜呑みにせず、自分で考え、言葉を用い言語化して、情報の神秘化を崩していく。
翻訳するように、判断していく。それが、雨の行方を辿り、表現する言葉の力なのだ。それこそが、袋小路のような状況を打開する鍵になるだろう。
行こう、希望の光は鏡の世界へ。屈折しながら歪むように。言葉の力を駆使して、喰らいついていこう。
6/20/2025, 9:18:36 AM