夢見 月兎

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#時を告げる

 若い男が個室に通され、そわそわと待つこと数分。女が柔らかな笑みを携えてやってきた。

「久しぶり」
「中々、会いに来れなくてごめん」
「気にしないでいいよ。お仕事、頑張ってるんだもんね」

 隣に座り、手をそっと握ってくれた彼女は不満を一欠片も見せずに不義理を笑って許してくれる。それどころか、こちらを気遣って労りをくれた。
 なんて、優しいんだろう。
 生半可なブラック企業も裸足で逃げ出すダークネス企業でこき使われて溜まりに溜まった負の感情が、彼女に会うだけで溶けていく。
 うちの良いところなんて、労働に見合った給金は保証されることだけだ。給料が下がったら、すぐにでも転職するつもりだが、いまのところその機会はない。そのせいで、すっかり社内で古株になってしまった。昨日も16連勤した新人が外回りに行ったまま失踪して、その後始末を押し付けられたのだ。

「――あ、ごめんね。また愚痴っちゃって」
「いーよ、いーよ。私でよければいくらでも聞くから、ぜーんぶ吐き出しちゃお!」

 彼女に甘やかされてばかりだ。たまにはお返しがしたいのだが、プレゼントを渡しても困った顔をして「会いに来てくれるだけで十分だよ」と言って受け取ってもらえない。欲が無さすぎてこっちが困る。
 結局、いつも通り、包容力に抱き込まれ幸せにまどろんだ。嗚呼、もう全て投げ出してずっと一緒にいたい――――。




 
 ――ピピッ、ピピッ





 無機質な音が夢を裂いた。


【お金が有れば、また会いましょう】

9/7/2023, 7:38:27 AM