簡単に言うと、世界は広いのにちっぽけな部屋が誰か視点で目の前にあって、そこにいる自分が、そこからイメージしているものが世界だと思っていた。
普段世界を身近に見せてくれるスマートフォンやパソコンも、誰かのカメラが視点で、自分の立ち位置は観客だ。見せられるまま、何をどれくらい見ていたいかも選べない。
電波の上の見えない情報を、そこにアクセスできるものがあって成り立つ常識が、家のようになっていて、じっとその窓から世界を覗いてる。
近場しかみえないなら、外へ出よう。
まあそこそこ、の危機管理を持って、自分が動いて仕舞おう。
多分、家はうしろについてくる。
家の外に出ていくたびに、やっぱり自分も大きくなるだろうか。
6/5/2024, 10:04:53 AM