イブの夜
吉野くんはどうしているだろう。
今年のクリスマスイブは日曜日で学校はないし、ただ同じ部活の後輩というだけでそれ以上の関わりはないのだから、彼がどうしているかなんて別に気にしなくても良いのだ。
良いのだけれど、ビーズ刺繍の制作中、糸を付け替える時や新しいビーズを取り出す時、気づくと手が止まっていて、窓の外の夕空をぼんやり見ていたりする。
いかんいかん。これは現実逃避だ。来週の展示会までに間に合わせないといけない作品が思うように進まないから、クリスマスというイベントだけでお腹いっぱいなのにイブだのイブイブだのイブイブイブだの誰かが言い出したせいでむしろ12月に入ってからずっとクリスマスみたいな雰囲気でうんざりだし、こんなことを考えてないで早くこの作品を仕上げないといけないのだ。
しまった。またビーズの色を間違えてる。
心を落ち着かせて糸を解いていく。青と黄色のビーズが、雪の結晶みたいにキラキラ光っている。
鳥の形の作品だから、別に何色でも良かったのだけれど、なんとなく気に入ったこの色を使っている。
ビーズ刺繍で一番大事なのは、落ち着いて丁寧に作業をすること。でないと糸が絡んで解けなくなる。ビーズの色を間違えて後戻りをすることになる。
いつもはこんなことないのに。きっと寒さで手がかじかんだせいだ。別に吉野くんのことを考えていたからこうなったのではない。
私はなにか間違えたのだろうか。
金曜日、つまり22日、イブイブイブ…? ええい知らん、22日は22日だよ、後輩がいつも通り部室に来て、「先輩は今週の土日なにか予定あります?」と聞かれて。
その時は展示会のことで頭がいっぱいで、今週末がクリスマスイブというのを忘れていて。「予定はないけど作品作りで忙しいよ」と答えたら、「ほんとに?」と聞かれて。「ほんとに、どこも出歩けないほど忙しいんですか?」と何度も聞かれて。
それがいつも以上にしつこくて、私は私で締め切りにイライラしていたから、つい「忙しいって言ってるでしょ!」と強めに言ったら、しゅんとしてしまって、部室から出ていって、それきり。
バタン、としまったドアの音で、私はハッと気づいたのだ。今週末がクリスマスイブだったということを。
え? じゃあなんで吉野くんは私に今週末の予定を聞いたんだ? まさか一緒に遊びに行こうって誘いだったのか?
いやいや、そんなはずはない。スポーツマンでモテモテな彼には付き合ってる女子の一人や二人いるはずだ。きっと予定を聞いただけだ、たぶん。私なんかと過ごすより、もっと良い相手は彼にはたくさんいるはずだ。思いあがっちゃいけない。
LIMEの着信音に、はっと我にかえる。
なんだ、手芸屋のクーポンのお知らせか。
なんだ、ってなんだ。
手芸屋のクーポンだって大事なお知らせじゃないか。たかだか5パー10パーオフとあなどるなかれ、材料を毎月大量に買う身としては大事な情報……。
じゃなくて。
手芸屋のクーポンじゃないとしたら、私は一体何を期待していたんだ。
吉野くんとはLIMEを交換していて、平日の夜とか、土日とか関係なく、「おはよーです」とか「ぐっないです」とか「今日寒いっすね」とか「まじで今日の寒さやばくないっすか」とか色々送ってくる。
彼のように友達の多い人間は、こうして毎日みんなにメッセージを送っているのだろう。大変そうだなあ、なんていつも眺めているけど、今日に限っては何も言ってこない。
どうしたんだろう。
金曜日のこと、怒ってるのかな。
私からメッセージを送ってみようか。
いやいや、彼女とデート中かもしれないし、やめておこう。
スマホを置こうとしたその瞬間、再び着信が来た。
吉野くんだ!
しかも電話だ!!
手が滑って作業用のトレーをひっくり返してしまい、ビーズの粒がバッシャーンと派手に吹き飛んだ。しかし今はそれどころじゃない。
スマホをタップして電話に応答しようとすると、着信はふつりと切れた。
……しまった。
間違えて応答じゃなくて拒否のボタンを押してしまった。
あわててこちらからかけ直す。スマホを耳に当てる。ドキドキしているのは、普段電話をかけることがないからであって、決して吉野くんに電話をかけているからドキドキしているのではない。
……出ない。
プツッと音がして、出た! と思ったのも束の間、「通話中のため出られません」とメッセージが流れただけだった。
数分置いて何度か試してみるも結果は同じ。
悪いことしたなあ。自分から電話をかけて、相手に拒否られたら、私が彼の立場だったらきっと傷つく。
苦し紛れにメッセージを送ってみるも、なかなか既読がつかない。
怒ってるかなあ。
申し訳なさに胸が締め付けられる。もう一度電話をかけてみようか。でもあまりしつこいのも良くない。
吉野くんとのトーク画面を見ていて、ふと気づく。
アイコンの写真に映った彼は、青と黄色のマフラーを巻いていた。
ちょうど今、私が作っている作品と同じ色合いの。
私は無意識のうちに、彼のマフラーと同じ色のビーズを選んでいたのだ。
なんでだろう。
窓を見ればとうに日は暮れている。
街ではイルミネーションが灯る頃。
そうだ、今日はイブ。クリスマスは明日の月曜日だ。
私はスマホをポケットにしまい、コートを羽織った。
せめてもの償いに、謝るきっかけに、お菓子でも買ってプレゼントしようかな。
ビーズはひと休み。どうせ、今日は身が入らないんだし。
(続く?)
12/24/2023, 11:34:55 PM