天高く 青く澄みたる 秋晴れの
下に響くは 頬を打つ音
思わず一句詠んでしまったが、そんな和やかな状況じゃない。なんと今、駐輪場のフェンスを挟んで、幼馴染みの想い人である彼女持ちの先輩と向き合っている。
テスト期間ということで通常よりも早く帰れるのが仇になった。幼馴染みに自習室での居残り勉強に付き合ってほしいと言われたけど、今日は弟と妹の面倒を見なくてはならないので断った。
足早に駐輪場に向かい、今日に限って奥の方に停めてしまった自転車を見つけ出す。カシャンとロックを解除して車体を動かした瞬間、ぱんっという拍手のような乾いた音が聞こえた。ついでにヒステリックな女子の甲高い声も聞こえてくる。
やめとけばいいのに、野次馬根性は止められない。
そろそろと自転車を押しながら、声のする方へ歩いていく。フェンスを挟んで数メートル前方に喧嘩中のカップルがいた。背中を向けている彼女が誰かは分からない。が、向かい合っている男子生徒には見覚えがあった。冒頭で述べた例の先輩だ。
頬が赤くなっているのが遠目にも分かる。なのに、先輩は困ったように微笑んでいるだけだ。聞き取れた部分を切り取って意訳すると、どうやら『私以外の女の子にも手を出すなんて最低』という言われているらしい。一方的に責め立てた彼女は、耐えきれなくなったのか走り出してしまった。
かなりの修羅場だ。見なかった、聞かなかった、知らなかったことにして退散しよう。
そう思ってゆっくりハンドルを切ろうとしたら、フェンスの網目に引っかかってしまった。ガシャンと大きい音がすれば、誰だって視線を向ける。顔を上げた先輩と目が合ってしまった。
──というのが、事の顛末だ。
「あちゃ~……もしかして見てた?」
困ったように笑いながら歩み寄ってきた先輩の片頬は赤い。よほど強く叩かれたんだと思う。
「見てたことは謝ります、ごめんなさい。でも、早く手当てした方がいいですよ。私、保健室から氷嚢借りてきますから」
「いいよ、別に」
「は……?」
「気をつけて帰ってね。あ、できれば見たことは忘れてほしいな。平手打ちされたなんてカッコ悪いからさ」
「え、ちょっと」
「じゃあね」
ひらひらと手を振って歩いていってしまう。
──いや、放置するのはよくないでしょ!
自転車のスタンドを立ててフェンスをよじ登る。ガシャガシャとした音に驚いて振り向いた先輩の目の前に飛び降りる。やんちゃ盛りの弟を追いかけ回している経験が役に立った。
「言いふらしたりしませんから、ちゃんと手当てしてください。いいですね、ここで待っててくださいね」
短く言いつけて保健室へと走り出す。
先生には「なんかぶつけたーとか騒いでるんで氷嚢貸してください」とか適当なことを言った。返さなくてもいいように氷と水を袋に入れてくれたので、持っていたハンドタオルで包む。
駆け足で戻ってくると、先輩はフェンスに背中を預けて座り込んでいた。ちゃんと待っていたことにほっとして、努めて普通の顔で差し出す。
「どうぞ。先生には上手く言っておきましたのでご安心を」
驚いたというか呆気にとられているような顔で氷嚢を受け取ると、ふふっとおかしそうに吹き出した。
「なんですか?」
「いや、ごめんごめん。面倒見が良いんだなーって」
「……これくらい普通です。では」
「あ、ちょっと待って」
緊急でもないのにフェンスを登るわけにはいかないので、ぐるりと回ろうとしたら呼び止められた。
「どうもありがとう。お礼したいから名前教えてくれる?」
「大したことではないので気にしないでください。お大事に」
ついさっき頬を叩かれたというのに、全然懲りてないんだろうか。それとも、この間見た光景は幻だったのだろうか。
どちらにしても、私が踏み込むことじゃない。
ひんやりと凉しい木陰から足早に抜け出して、秋晴れの空の下で待っている自転車に飛び乗った。
10/19/2023, 3:39:29 AM