ミニトマト。
誰もが食べたことがあるのではないだろうか。
身近にある食材だ。スーパーでも、コンビニでも、買える。もしかしたら、貴方の庭の畑にあるかもしれない。
新鮮な野菜の匂い。
トマト特有の、あの匂い。
ベットに寝転ぶと、その匂いが鼻腔で揺れた。
ベッドから、ミニトマトの匂いがする。
だからと言ってミニトマト食べたいなとも別に思わず、だらだらとスマホをいじって、眼精疲労で限界がきたら、もぞもぞと身体を縮こめて、意識が朝に飛ぶのを待つ。
朝。ここからはこの人間の内なる世界に住む、奴の話。
奴には、顔がない。毛も、ない。服も、ない。指も、ない。爪も、ない。耳も、ない。眼も、ない。声も、ない。
身体が、ない。
四肢のようなものと、頭のようなものがある。ぼやけるような、淡い何色かの物体。
遠くに見える海。正しくは、海のような水である。
沈黙かのように単調なオルゴールが流れるような波。
無機質な白い陽にあたって薄暗くてらてらとしている。
この肉体が呼吸をする度に揺れ、波を作っている。
何もない世界。
けれど奴は同じリズムで同じ場所を通って、何もないところで階段を降り、何もないところに腰掛ける。
何もないけど、当たり前にある。
波の揺れが穏やかなとき、海辺に近寄ってしゃがむ。
ゆらゆらと、ぞろぞろと、深淵の海の向こう側から、何かが流れてくる。
浅瀬に流れついて揺蕩うガラクタ。真正面のは、黒く、重く、刺々しい。斜め手前にはショッキングピンクで、ハートのネックレス。
ぱちゃ、水の中に手を伸ばして、斜め手前のガラクタを掴む。
持ち上げると、水は滴らない。手を濡らす水も、ない。
ガラクタは奴が握っている中で、どく、どく、内側で暴れるような嫌な歪み方をして、
パァンッ!!!
破れた。弾け飛んだ、いろんな色が混ざってできた色のどろどろ、ざらざらした液が、べちゃ。ダイナミックに奴の頭のようなものにへばりついた。
液は、しゅぅぅぅ……と煙を立てて溶かす。
奴は、液がついた部分から削れていく。
奴は、何もない端にがらくたを置く。
分かってるのだから触るなって話なのに、奴は、バカ。ハートが可愛かったのだろう。
靴を脱ぐ動きをして、髪を結ぶ動きをして、海に飛び込む。
奴は、この海の中に入って、水から得られるエネルギーを吸収しなければならない。
充分に得られないと、やがて死ぬ。
そして、海で探すものがある。
それを集めると、奴は、完成する。
奴は、両腕のようなものを上下に動かして、水で歩く。奴のこれは、私たちにとって泳ぐというものだ。
水面に半円の波紋ができる。
脚のようなものは、まっすぐそのまま。水面を通って、すー、と一本の波紋を作りながら、歩く。
水に入っても、液は取れない。ゆっくり、奴を削り続ける。
奴は、探す。
しばらく、歩くと、遠くにきいろい物体が見える。
そこへ向かって、歩く。
触ると、ふわ、と触れたところから、奴の腕のようなものを包み込む。
広がって、全体を包み込み、暖色に滲んで発光して、奴に染み込むようになくなる。
すると、液が消えた。奴の削れた部分が、元通りになった。
そして、奴に、
人差し指が、生えた。
ふと、奴がどこかを振り向く。
視線の先には、遠目にきいろい物体が見える。
奴は、そこへ向かってまた歩き出す。
辿り着いた。きいろい物体に、人差し指で触れる。人差し指を包んで、広がって、腕のようなものを包んで、頭のようなものを包んで、腹のようなものを包んで。
全体を包み込み、暖色に滲んで発光して、奴に染み込むようになくなる。
すると、液が消えた。そして、奴に、
小指が、生えた。
奴は、あたりを見渡す。
きいろい物体は、見当たらない。
果てしない中、当てもなくただ歩く。
すー、すー、すー、半円と線状の波紋を水面に作って、歩く。
先に、きいろい物体を見つけて、向かう。
辿り着いて触れようとしたとき、波が、荒くなった。
どんっ、と押し寄せた波が迫り来る中、足元に気づく。
見ると、カイジュウがいた。
小物のカイジュウは奴を攻撃して追いかけ回して遊んだり、凶暴なカイジュウは虐殺したり、知能があるカイジュウは食べたりする。
奴は、きいろい物体を掴んで、カイジュウにぶつける。カイジュウを包み込みはじめる。広がって、全体を包み込み、暖色に滲んで発光して、染み込むようになくなる。
そのあとカイジュウは、どく、どく、内側で暴れるような嫌な歪み方をして、
パァンッ!!!
破れた。弾け飛んだ物体の破片が、ぼとっ、ぼちゃぼちゃっ、とあたり四方八方の水面にぶつかり海底へと徐々に沈みゆく。
奴の物体にも破片は降りかかり、当たったところはじゅぅぅぅ……と煙を立てて焼ける。
歩いて、破片がぼとん、と海へ落ちても傷口は、焼け続ける。じわじわと、じゅぅぅぅ……
あたりを見渡して、きいろい物体を探す。
それにしたって、波が収まらない。何故か、また波が押し寄せてこようとしている。
と、目先の水面に広がる、ギザギザとした波紋を見つけた。
カイジュウの波紋だ。
きいろい物体がないか探す。
ない。
奴は、今すぐに逃げなければならない。
脚のようなものを動かそうとした瞬間、ブチッ、と奴の脚のようなものが、カイジュウによってちぎられた。
もう、カイジュウがすぐ足元へ迫りきていた。
両腕のようなものと片足のようなものを素早く上下させ、深海へと、深くへ、深くへ潜る。
奴は、両脚のようなものを上下に動かして走る。片脚のようなものがなくなり、不十分のなかで必死に走る。
すぐにカイジュウは奴を追いかける。
カイジュウは、水圧に弱い。深海では身動きが鈍くなり、あまりに深くへ行けば水圧で全く動けなくなり、そのまま時が流れて死を待つのみ。
だが、潜ってもこのカイジュウは速い。
奴は、片脚のようなものを失って、遅い。波と荒い海流になぶられて、物体が焼け続けて、奴の方が動きが鈍い。
海底へ行くと、扉がある。
その扉の先へ行けば、避難できる。カイジュウは、その扉をくぐれない。
潜って、潜って、逃げる。
ぐちゃぐちゃの大きな海流に遮られながら、
鈍い片脚のようなものを、動かす。
深く、深く、潜る。
迫り来るカイジュウの波紋を感じながら、
痺れ震える両腕のようなものを止めない。
重い水を、かいて、かいて。
海底に近づいた。
なのに、このカイジュウは、まだ動く。
カイジュウは奴を食べると、より水圧に強く、より速くなる。
このカイジュウは、奴を何個喰ったのだろうか。
扉が、見える。
腕のようなものを伸ばす。その腕のようなものには、じゅぅぅぅ……と火傷が広がって侵食している。
人差し指を、ふるふると、震えるくらいめいいっぱい伸ばして、扉のつまみに触れようとする。
と、
バキャッ、ぐっ、ゴギ、がッ、ゴきュ。
そして、奴は死んだ。
カイジュウは、その場でより強くなり、自力で水面まで戻っていった。
奴は、現れてから92日目で死んだ。
そして、しばらくしてまた新たな奴が、どこからともなく現れる。
前の奴とは、違う奴。
同じじゃない。全く違う、奴。
昨日もその前からずっと、変わらずここに居た。そんな顔をして今回の奴も生活している。
そしてまた、海岸へ向かった。
11/19/2025, 12:59:56 PM