sairo

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誰もいない駅のベンチに座り、ぼんやりと空を見上げていた。
電車は来ない。それは分かっている。
先日の大雨で、線路が土砂で埋まってしまったのだ。元々何年も前の天災で壊れた駅と線路を直したばかりだというのに、今回の災害である。利用者も多くはなく、このまま廃線にしてはどうかという意見も出てきていた。
溜息を吐く。憂鬱な気分と相俟って、何もする気が起きない。
意味もなく流れていく雲を目で追いかけていれば、不意に視界が暗くなる。

「だーれだ?」

戯けた声がした。

「――先輩?」

子供じみた行動に、戸惑いつつ怖ず怖ずと呼びかけた。
視界を覆う手が外されて、にんまりと彼女は笑う。

「正解!」

くすくす笑いながら、ココアを手渡される。受け取る缶の暖かさに、ささくれだった心が落ち着いていくようだ。両手で缶を包み、ほぅと息を吐く。

「さて、何があったか聞いてもいいやつかな?それとも、何も言わないで黙って隣にいる方がいい?」

隣に座りながらそう言われ、視線を彷徨わせる。
特に聞かれたくない話という訳ではない。ただどう切り出せばいいのか分からず、彼女の視線から逃げるように空を見上げた。

「皆で駅を綺麗にしたのに、このまま使われなくなるのは寂しいなって……」
「そうだね。頑張ったもんね」
「電車がこの駅に入ってきたのを見て、なんだかドキドキして……すごく嬉しかったのに……バスなんかよりずっと早く街に出られるって思ったのに……」
「うんうん。バスよりもずっと簡単に街にいけるもんね」
「そうしたら……きっと……」

じわりと視界が滲む。彼女に優しく頭を撫でられて、何を言いたいのか分からなくなってきた。
浮かぶのは、大好きだった彼から送られた最後のメッセージ。

――ごめん。

たった一言。何に対する謝罪なのかも分からないまま、それきり連絡は途絶えてしまった。

「なんでって、聞きたかった……なんでごめんなんだろうって……謝らなきゃいけないのはわたしなのに。わたし、ずっと酷いことをしてたから……ずっと、車掌さんを重ねて見てたから……」
「車掌さん?それが初恋?」

目を瞬く。溜まっていた涙が落ちて、少しだけ世界が輪郭を取り戻した。
どう答えるべきかを迷う。記憶を辿るように目を細め、昔たった一度だけ見た夢のような一瞬の出会いを思う。

「小さい頃、家族と喧嘩をして、家出をしたことがあって。夜にこうして駅のベンチに座っていたら、電車が来たんです……不思議な電車で、乗客も人じゃなかったりしてたけど、怖くはなかった。駅に止まって、でも乗客は誰も降りなくて……ぼんやり電車を見てたら、その時……」
「車掌さんが降りてきたんだ?」

小さく頷いた。
電車から降りた車掌は、真っ直ぐにこちらに近づいて、目の前で膝をついた。黒のハンカチを取り出して、涙でぐしゃぐしゃになっていたわたしの顔を拭い、頭を撫でてくれたのだ。

「何も言わなかったけど、頭を撫でられたら嫌な気持ちが全部なくなった。帰りたくなかったはずなのに、帰りたいって思えるようになった」
「その時に、好きになっちゃったんだ」

何も言えずに俯いた。
好きなのかは分からない。憧れに近いのだろうとは思う。
けれど今もまだ忘れず、彼に車掌を重ねて見るくらいには想っていた。

「そっかそっか……じゃあ、こうしよう。列車に乗って旅に出よう!」
「――え?」

突然の言葉に、首を傾げて彼女を見る。
電車は来ない。それは彼女もよく知っているはずだ。

「車窓からの景色を見たり、乗客と会話をしたりしてたら、嫌な気持ちもなくなるよ。知らない駅で降りてみてもいいし、食べ歩きなんてのも悪くない……よし、そうしよう」
「え、いや、その……」

立ち上がり、笑顔で歩き出す彼女に困惑しかできない。そのまま何も言えずにいれば、プラットホームの白線まで向かい、彼女はくるりとこちらを振り返った。

「ほら、早く!そろそろ列車が来るよ」
「いや、だから……っ!?」

手招く彼女に声をかけようとして、遠くで警笛の音がした。
立ち上がり、彼女の元へと向かう。プラットホームの端から線路の先を見れば、見知らぬ電車の姿が小さく見えた。

「どういう、こと……?」

電車から視線を逸らせない。その電車に見覚えはないはずなのに、何故か懐かしい気持ちが込み上げてくる。
ずっと待っていた。そんな気がして、答えを求めて彼女を見た。

「まずはどこへ行こうか。海もいいけれど、今の時期は山かな。山全体が色づいて、とても綺麗だから」

彼女は笑う。言いたいことは察しているだろうに敢えて答えないのが、意地悪だけれど好きな所のひとつだった。
ふと考える。彼女を先輩と言ったけれども、部活の先輩に彼女はいなかった。
彼女は、誰なのだろう。

「――ほら、列車が来た。これでもう寂しくないよ。ごめんね」
「え?」

何故謝られたのか分からない。視線の先の彼女は、電車を見たままそれ以上何も言わない。
問いかけようとして、けれどその前に電車が駅に到着した。
一両だけの電車。とても古めかしく感じられるのに、傷や錆びはなく綺麗な姿をしていた。乗客は誰もいない。ドアが開くも、何の気配もしなかった。

「――あ」

前のドアから車掌が降りてくる。彼によく似た、あの夜出会った車掌だった。
車掌がゆっくりとこちらに歩み寄る。目深に被った帽子のせいで、その表情はよく見えない。
そのまま目の前で立ち止まり、帽子に手をかける。彼女が車掌の隣に立ち、楽しそうに手を振った。

「二人旅、楽しもうね。変な勘違いをして悲しい思いをさせてた分だけ、笑顔にしてあげる」

笑う彼女の姿が黒に染まる。突然の出来事に呆然としていれば、彼女は姿を黒く薄く変えて、車掌の影になってしまった。
それと同時に、車掌が帽子を取る。露わになった顔を見て動けない体を車掌は引き寄せ、強く抱き締められた。

「ごめん」

耳元で、聞き馴染んだ声が囁く。
懐かしい香り。顔も声も、間違えるはずはない。
会いたくて溜まらなかった彼が、そこにいた。

「下らない嫉妬をして、でもそれは俺が人間じゃないからなんだって、勝手に諦めようとした……結局諦められなくて、強引に隠そうとも考えてた……本当にごめん」
「嫉妬?」
「あの夜初めて出会ってから、ずっと好きだったんだ」

次々と紡がれる彼の言葉に、理解が追いつかない。少しだけ待って欲しいのに、震える声と、抱き締める腕の強さに、何も言えなくなってしまう。

「ごめんな。これからは、もう悲しい思いをさせたりなんてしないから。絶対に幸せにするから」
「あ、あのっ!」

勇気を出して制服を掴み、少しだけ体を離して彼を見上げる。泣きそうな彼の目を見て、同じように泣きそうになりながらも声を上げた。

「わたしこそ、ごめんなさい。ずっと車掌さんと重ねて見てて。たくさん傷つけて……本当に、ごめんなさい!」

ずっと思っていたことを告げると、彼は目を瞬かせてふわりと笑う。抱き締める腕を離して、代わりに頬を包まれた。

「全部知った今は、嬉しいだけだよ。最初から両思いだって分かったから……好きだよ」

そう言って、額に唇が触れた。
それだけで真っ赤になるわたしに彼は楽しそうに笑う。
再び唇が近づいて、しかしそれは警笛の音に止まった。

「続きは旅の途中にしようか。一緒に色々な所に行こう」

肩を抱かれて、電車の中へと彼と共に足を踏み入れる。
前の席に座らされて、彼はその向かいに座った。
少しだけ落ち着かない。額の熱と彼の視線の熱が混じり合い、じわりと全身に回って、くらくらする。

「行きたい所、見たいものがあったら何でも言ってくれ。どこでも連れて行く」

そう言われても、何も思いつかない。
彼と一緒なら、どこに行ってもいい。そんなことを考えてながら、そっと彼に手を伸ばした。

「どうした?」

首を傾げた彼が手を取る。軽く引けば、心得たように頷いて、向かいではなく隣に座り直した。
肩を抱かれて、その温もりに目を細める。さっきまでの憂鬱な気分がすっかり消えて、幸せだけが残っていた。

「どこでもいいの。一緒にこうしていられるなら、海でも山でも、どこでもいい。あのね……」

彼を見上げる。顔を寄せる彼の耳元で、内緒話をするように、思いを口にする。

「大好き」

顔を離せば、耳を赤くした彼が、卑怯だと呟いた。

「俺も、好きだ。愛してる」

引き寄せられて、頬を包まれる。
思いのすべてを伝えるように、そっと熱い唇が触れた。



20250915 『センチメンタル・ジャーニー』

9/16/2025, 5:33:48 PM