ノア

Open App

『大切なもの』

私の大切なものはいつも財布に挟んでいる2枚のチェキカメラで撮った写真だ。

私の15歳の誕生日の前日に撮った最初で最後の家族写真



私の家は家族皆仲が良いって訳では無かった。
祖父と母と私の三人家族。


母と祖父は仲が悪かった。
私と母は仲が悪かった。


母は祖父から逃げるように家にほとんどいなかった。
私は母に会いたくなくて会いに行かなかった。


私が母に会わなくなって一年以上経ったある日母が癌で春まで持つか分からないと言われた。
だから最後に会って欲しいと祖父から凄いお願いされたけど大好きな祖父からのお願いでも私は母と会うのは嫌だった。



私はまだ母を許せていないから、いや許せないから
だから会いたくないんだと思った。



ある日祖父にドライブに行こうと言われた。
私は久しぶりにら大好きな祖父とドライブに行ける!と張り切りっていた。


しかし着いたのは病院で、
お母さんと会いなさいと強制的に病室に連れてこられた。



私の名前を呼ぶ声が聴こえた。
何かを耐えているような弱々しい声だった。


私は病室の前で気がついたら泣いていた
人の目なんて気にしないで病室のドアの前で泣いてひたすら許せなくてごめんなさいと泣いた。


その日はそれで終わった。



祖父が何回も会わせに行くしお願いするから私はついに母に会うことにした。


扉を開けて俯いていた顔を上げてチラッと見てみるとそこには母だけど母では無い誰かが居た。

あれ?
こんなにガリガリだったっけ?
こんなに弱弱しい声だったっけ?
こんなに呂律が回らなくなってたっけ?
こんなに無理して笑う人だったっけ…

話してみるとやっぱり母で
ジャニーズが好きで祖父が大嫌いで可愛いものが好きでお菓子が大好きないつもの母だった。


でもトイレもお風呂も自力で出来なくなっていた。
喋るのも一苦労で元々統合失調症でそれが酷かったけどもっとそれが酷くなっていて寝返りも起き上がるのさえも出来なくなっていた。


久しぶりに見た母は随分変わっていた。
話す時久しぶりすぎてどう接していいか分からなかった。


でもその時はまさか次会う時が最後になるなんて思ってもなかった。


12月の初めに私の誕生日がやってきた。
誕生日の前日が日曜日でその日祖父と母と母の病室でお祝いしてチェキカメラを貰った。

さっそく私の誕生祝いという事で撮った。

1枚は3人で撮った写真
1枚は母と私のツーショット写真


次会うのは再来週になった。
来週は修学旅行の準備やらで忙しくて日曜日は荷物検査があったからだ。

「お母さんにお土産買ってくるね」

「ほんと?!待ってるね!!」

そんなやり取りをして修学旅行に行っていた2日目
昼の三時頃私はお母さんに買うお土産を選んでいた。

手がカサカサだったからゆずの香りのハンドクリームにしようと思って買って何事もなく修学旅行から帰ってきたらお迎えの車が叔父さんの車だった。

嫌な予感がした。


母が亡くなった


結局渡せなかったゆずの香りのハンドクリームは棺桶に入れた。


亡くなったのはちょうど2日目の三時頃だったらしい。



私の手元に残ったのは2枚の写真だけだった。





私の大切なものはいつも財布に挟んでいる2枚のチェキカメラで撮った写真だ、きつい時辛い時泣きたい時はいつもそれを見ている。


何故かそれを見ると元気を貰える気がしてくるから。





4/3/2023, 9:28:28 AM