かたいなか

Open App

「そういえば『お金より大事なもの』と、『大切なもの』ってお題が、3月4月頃あったわ」
「お金」は、「お金の持つ『金銭的価値』と、そのお金を貰った『思い出的価値』」みたいなことを、
「大切なもの」の方は「クソな職場を生き抜くにあたって大切かもしれないもの」を書いた気がする。
某所在住物書きは、さかのぼるのも億劫な過去記事を気合でスワイプしながら、なんとか探し当てた。

「ぶっちゃけ、投稿に関しては、地の文の言い回しとか言葉の選び方とか、そっちを大事にしたいわな。
お題文の発展力とか物語の構成力とかに比べれば、個人的に、比較的自信有るし……」
やべぇ。ホントにそろそろネタのストックがキツい。物書きは眠気で働きの鈍くなった頭を叩き起こし、なんとか物語を組んで消してまた組んで、結局消す。

――――――

最近最近の都内某所、某アパート。
床と壁と天井と、生命維持に必要な家具家電、それからキンポウゲ科の植物一株植えた底面給水鉢が1個だけ、置かれている室内。
使い古された感のある大きなキャリートランクに、
部屋の主、藤森というが、それはそれは大事そうに、木製の小箱ひとつを収めている。

「仕事はクソだったが、」
小箱の中身は風鈴。
「人には恵まれたし、親友と後輩もできた。それから、宝物のいくつかも」
トランクに先に収めていた、白い涼しげな甚平と共に、今年職場の後輩から贈られた避暑である。
風鈴は過去作8月5日、甚平は同6月22日参照だが、別に読まずとも問題無いので詳細は省略する。

「楽しかった。……私には、十分だ」
十分、私は幸せ者だった。ぽつり後輩と親友に感謝を述べる藤森。
表情には少しの未練と葛藤が、確かな信念や決意と共に混在している。

藤森は雪降る田舎の出身であった。
雪ほぼ積もらぬ東京に、憧れて上京して恋を知って、
その恋人が、藤森をSNS上でディスり、こき下ろし、藤森の心をズッタズタに壊したのが約8年前。
元カレ・元カノということで、恋人の名前を加元という。安直なネーミングはご容赦願いたい。

縁を切り、居住区も仕事も電話番号もすべて変え、合法的に改姓までして、新しい地で新しい生活を、続けていたは良いものの、
何を思ったかこの加元、散々ディスった筈の藤森を、先々月街で見つけ、先月職場に押し掛け、「話をさせて」と窓口係を困らせる始末。
更には藤森の住所を特定すべく、探偵を雇って藤森の後輩の動向を調べさせた。

私には、十分だ。
十分、私は幸せ者だった。
藤森は決心し、準備を着々粛々と進めた。
すなわち、己と長く付き合ってくれた親友と、己に風鈴と甚平を贈ってくれた後輩を、加元の暴挙から完全に遠ざけるための準備である。
加元と縁切ってから住み始めた部屋を引き払い、田舎に帰り、「そんなに会いたいなら追ってこい」と。「それができないなら自分を諦めろ」と。
大事にしたい者が在る世界を守るために、自分自身を潰す準備である。

「それでもきっと、2〜3週間くらいは、泣いて過ごすのかな」

それでも良いさ。人生の良い勉強にはなった。
己を無理矢理納得させるための、努力によって作られた笑顔で、藤森は自嘲した。
もう、食いしん坊の後輩に飯を作ってやることも、真の友情を誓い合った親友に冷蔵庫の中のプリンを食われてポコポコ喧嘩になることも無いだろう。
それら美しい過去を、尊い思い出を、きっと、藤森は風鈴と甚平を見るたび思い出すのである。

「ガラスだから、割れないようにしないと」
ため息を吐き、再度自嘲する藤森は、キャリートランクに収めた小箱に触れ、大事そうに撫でる。
「あぁ。……残念だな」
借りているレンタルロッカーの中身を実家に送り、今担当している仕事をすべて片付けて、後輩と親友にささやかな礼とプレゼントを贈って。
来月下旬、藤森は東京に別れを告げる予定である。

9/20/2023, 3:52:58 PM