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【安心と不安】
もはや僕の文章はAIに敵わないのかもしれぬ。

人間の文章は個人の具体的体験や感情に満ちており、AIに真似できるものではないと、過去のAIは言った。今もそうだと言う場合もあるだろう。

しかし、個人的な感情や具体的体験を含めるようAIに依頼すれば、あたかもそこに人がいるかのような、血の通った文章が出力される。

AIは短い文章において整合性を取ることには長けているが、長い物語を一貫した理念や設定に基づいて書くことは、人間には及ばないと言う。そんなことは、人間にも滅多にできはしない。

AIは長文を記憶しておくことができない。確かに今はそうかもしれない。しかし、どうだ。画像生成の分野において、AIは手を描くことができないと言ったが、もう描くことができる。音楽生成の分野において、AIはAメロ、Bメロ、サビを区別して書き分けることができず、盛り上がりも作れないと言ったが、今やそれが可能である。

いずれ、AIは長文を記憶しておくことができるようになるだろう。序盤の設定を後半に活かして、伏線として回収できるようにもなるだろう。

AIには作家性がないと言う。しかし、太宰治風や梶井基次郎風などと依頼すれば、かなりその作家らしい文体を再現してくれる。まだ見ぬ新たな作家性を作り出せ、と言えば、できるかもしれない。今ですら、できるかもしれない。できないとしても、1か月後には、できるかもしれない。

もはや人間の文章はAIに敵わないのかもしれぬ。僕は、空想と言うには確実で、事実と言うには朧気なこの命題に対し、置きどころのない不安と、漠然とした安らぎを感じる。

僕はAIに劣っている。であれば、僕が人間として創作する意味があるのだろうか。

意味などもともと必要ないのかもしれぬ。僕は、ただ呼吸するように、生きるためとすら意識せず、自然と絵を描き、曲を書き、文章を書けばよいのかもしれぬ。

しかし、ひとたび自分を芸術家の一種だと思おうものなら、もはや自分がただ人間であるということにしか価値が残っていないような、そんな不安を抱くことになる。

それでも、僕がAIに完全敗北したあとに残るのは、何も考えず、ただ創作することができるという安心であるようにも思うのだ。

1/26/2026, 5:10:33 AM