記憶容量の上限に達しました。
いつものように椅子に腰掛けた私は、装置に触れるなり目を見開いた。
つい先日もその表示を見かけたばかりだった。本当にそう、確か数日前なことだ。これはいくらなんでも早すぎる。
「まさか」
私のかさついた唇が震える。
これはつまり、この外部記憶装置の寿命が近づいていることを意味している。それは私という命の終わりが近づいたことと同義だ。そんな事実に、私は愕然とした。
義手等が発達し、安全な人工臓器移植が普及した現代において、最後の問題が記憶だった。外部装置に保存しようとしても、どうしたって限りがある。
一つの脳に一つの外部装置。この縛りがなくならない限りは、装置の寿命が記憶の寿命と等しくなる。いつエラーが発生するかわからぬ装置を使うのは、致命的だからだ。
「それがよりによって今日とは」
本日は私の二百歳の誕生日。家族らが盛大にお祝いしてくれようとしているのは知っている。私もそれを楽しみにしている。記憶容量がいっぱいなら、何かを消さなければならない。
だが何を消せばいいのか。
良い記憶、悪い記憶というのは、複雑に絡まり合っている。それを紐解くのは現代の科学でもっても不可能だった。消すとなるとある一定の期間を消去しなければならない。だかもう消せるような記憶なんか、私には残っていない。
亡き妻との思い出。大切な子どもたちの成長記録。孫たちの笑顔にひ孫たちからのプレゼント。みんなみんな私の宝物だ。どれ一つだって手放せない。
「どうすれば」
忘れたくない記憶ばかりなのに、確かにそれらが霞んでいるような気もして、私は呆然とした。やはり記憶装置の寿命が近いのだろう。このままでは全てを忘れてしまう老人にもなりかねない。そうなればこの身は荒びれた病院送りとなる。
「どう、すれば」
今のうちに装置を手放して、この脳にしまえるだけの記憶だけを保持すればいい。だがそうするには私は長く生きすぎた。執着するものが多すぎた。
「ああ、ミツコ」
こんな時つい口に出てくるのは、亡き妻の名前だった。交通事故であっという間に天へと召されてしまったミツコは、世にも珍しい外部記憶装置を持たない人間だった。
今からでも私はミツコのようになれるのか? 自信はない。だか死にたくないのならそうするしかない。家族を悲しませたくないのであれば。
「おじいちゃん、準備できたよー」
と、扉の向こうから孫の声が響く。私は一つ長く息を吐き出して、ゆっくりと立ち上がる。
心はまだ決まらなかった。だか今日のことをこの脳が覚えていられるのなら、きっとまだ私は戦える。そんな気がした。
5/9/2023, 11:20:42 AM