「行かないで」
そう叫べたら良かったのだろう。
もっと幼い子供の頃に。
そう叫んで、他人の目など気にする事なく泣き喚いて、子供なりに〝譲れないもの〟があるのだと、思い知らせていれば良かった。
置いていかれること、意志を黙殺されること、背を向けられることが怖いのだと、力の限りに叫べば良かった。
「〝聞き分けのいい〟子供だったからな、私は」
そう言って、皮肉げに唇の端をつり上げる。
グラスにはまだ半分ほどワインが残っていたが、何故か飲む気にはなれなかった。
テーブルに置いた手に、ひやりとした手が重なる。
指をなぞる手の感触がくすぐったくて逃れると、手はまたすぐに追ってきた。
「言っていいよ」
「――」
「何が欲しいのか、何が怖いのか。全部私に教えて欲しい」
「·····もう子供じゃない」
「関係ないよ。私はもっと、あなたの事が知りたい」
「·····」
「なんだってしてあげるよ」
再び重なる手のひらに、わずかに力がこもる。
その強さが心地よいと感じてしまうほどに、絆されている自分が何だかおかしくて、私はさっきとは違う笑みが浮かぶのを抑えられなかった。
END
「行かないで」
10/24/2024, 3:12:52 PM