その人は生前、幼いわたしにこう言った。
「大切なものは手に取れるものばかりじゃないんだよ。
むしろ本当に価値があるのは触れられないもの、形の無いものかもしれないね。きみもそういうものを大切にしなさい」
その時のわたしはまだこの言葉の意味なんて理解できなかった。
わたしにとって大切なのは、お気に入りの絵本、ぬいぐるみたち、それから、昨日買ってもらったばかりの靴。
触れられない大切なものってなぁに?
そんなわたしに、その人は優しく微笑むだけだった。
それから数十年が経ち、その人はいなくなってしまった。
みんなは大往生だというけれど、寂しいものは寂しい。
思い出すのは幼い頃におんぶしてもらった日のいつもより目線の高い景色、家族に内緒で吸っていたタバコの匂い、縁側で一緒に飲んだ苦いお茶と甘いおまんじゅうの味。
それから、あの日の言葉。
その人との思い出は、時間が経って少し輪郭がぼやけてしまっているけれど、確かにわたしの心の中に存在していた。
これは今となっては、わたしだけの思い出。
ああ、おじいちゃん。本当に大切なものって。
葬儀が終わり数日経った頃、祖母がわたしを呼んだ。
「おじいちゃんが自分が亡くなったらあなたにこれを渡して欲しいって。私も何が入ってるのかは知らないのよ」
渡されたのは綺麗な刺繍が施された小さな袋。
特に厳重に封がされているわけでもなく、ジッパーをひらけば簡単に中身が出せそうだった。
祖父からするとわたしが唯一血の繋がった孫だった。
でもなんで、おばあちゃんやお母さんじゃなくてわたし?
とりあえず受け取って自分の部屋に戻る。
出てきたのは小さな紙切れ1枚。
アルファベットの羅列が書かれていた。
言葉…じゃない。URLだ。
スマホでURLにアクセスしてみる。おそらくこれは動画投稿サイトのアドレスだ。
そして目に飛び込んで来たのは、メントスを口に含んだままコーラをのむ祖父の姿。
驚きで声も出なかった。
その後も流れるのは使い古されたチャレンジネタに意気揚々と取り組む様子。
世界一辛いソース入りロシアンシュークリームまできたところでスマホをベッドに投げ捨てた。
なんで?なんでこの秘密をわたしに?
おじいちゃん。
形の無いものにもいろいろあるね。
価値のないものも確かにあるって。最後にそれを教えてくれたんだね。
お題:形の無いもの
9/24/2024, 3:44:42 PM